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運命の星(十三)

運命の星(十三)

遠く、平安時代を起源とする宿や、江戸時代に創業した老舗旅館・ホテルが立ち並ぶ秋保温泉は、名取川が形成した河岸段丘の上にある。ここは、奥州三名湯に数えられてもいる。

一九八九年四月一日に、全国十一番目の政令指定都市と成った、仙台市の五行政区中の太白区にあり、市中心部から車で約二十~三十分という距離にある。その温泉街にある、ホテル和休は創業からほぼ百年、四代目の社長が、村岡 正だった。

今日は午後から、大英食品の大隅社長がハピネスの竹岡専務を連れてくるということもあって、朝早く九時から、常務の満と共にアンビシャスのカウンセリングを受けていた。そのこともあって、担当カウンセラーの有島は前日入りしていた。

村岡は、大隈から電話をもらった時に、カウンセリングスケジュールを確認し、あえて、この月曜日を選んでいたのだ。勿論、勧誘でも営業でもない。村岡自らが学び、体験した経営哲学の大切さを伝えたいだけ。

電話を貰った翌日、大隈から紹介の経緯を聞いていた村岡は、ハピネスの実態を自分の事として、そのカウンセリングの中で確認と指導を受けた。

『現実の中に真理があり、真実を見極める。その見えないものを見る眼こそ、哲学の眼である』と。また、『結果は目に見えるし確認も出来るが、その原因は目に見えない。ゆえに、気が付かないし直せない』そして、『原因を改めない限り、結果は決して変わらない』等々。その指導は十年以上学んでいた村岡をして、改めて原点に立ち返る内容でもあった。

 

一九八六年、今から二十三年前に四十三歳で第四代社長に就任した正は、実に鼻息が荒かった。と言うのも、その当時、時代のあらゆる要因が重なって、まさに不動産投資花盛り。中でも土地は必ず値上がりするという、いわゆる土地神話に支えられ、銀行は土地を担保に貸付を拡大していた。

その潤沢な資金でリゾート開発が全国各地で活発に行われ、開発の波はここ秋保にも押し寄せていた。この得体の知れない大波に乗り遅れまいと、先代から全ての資産を引き継いだ正は、それらのインカム・ゲインを目的に、巨額の設備投資を行った。その結果、施設は一気に何倍もの規模になり、売上はその規模に連動するように上がっていた。同時に、得た利益に加え、銀行の融資も評価額の一二〇%と言う、過大な融資を取り付け、キャピタル・ゲインを目的に、次々に土地を買い増やした。

だが、その勢いは長くは続かなかった。それから約六年、一九九二年をピークに日本経済と共に土地・不動産価格も下落に転じ、キャピタル・ロスを抱えることとなったのである。それ以上に、急激な金融引き締めによる信用収縮が起きる等、これまた様々なマイナス要因が重なり、これまでの設備投資による多大な損失を抱える事態になったのである。

時の大蔵省や日銀の政策対応は後手に回ったが、前線である金融機関の保身の動きは早かった。政府は当初、大手金融機関は破綻させない、という方針を取っていたが、一九九五年頃より『市場から退場すべき企業は退場させる』という方針に転じ、不良債権の査定を厳しくして経営状態の悪い金融機関も破  綻・再生する処理にかかった。その結果、金融機関が、経営に問題がない企業  に対しても貸し出しに慎重になり、新たな融資を断る『貸し渋り』や、既存の  融資を引きあげたりする『貸し剥がし』で、多くの企業は苦しむ事になったのである。ホテル和休は、まさにその真っ只中にいた。そして銀行は文字通り『手の平を返す』ものであった。

村岡は、万策尽き焦燥感にかられていた。それでも、決して諦めることだけはなかったが、ただもがいているだけだった。その苦渋の時は三年に及んだ。そして、『これまでかっ?』と思ったその時に、一通のダイレクトメールによって、ホテル和休は蘇ることになる。

村岡は、苦しみぬいていた。悩みきっていた。あらゆる手は尽くしたと考えていた。時代と環境を恨んだこともあったが、自業自得と思い止めた。ここまでは意気盛んな事業欲で力んでやってきたが、全身からその力が抜けていた。この時を振り返り村岡はこう言う。

『ダイレクトメールの“会社を蘇らせる会社”というタイトルを目にした時は、まるで闇夜の彼方に輝く星のように青く光って見えた』と。

 

それは、一九九九年春、正・五十六歳の時だった。

ここから村岡の本当の戦いが始まった。ダイレクトメールの発信元であるアンビシャスと共に十年の歳月を戦い抜いてきた。

 

それまでは、長きに亘る先代からの伝統と経験を受け継ぎ、資産と資金を支えとしてきた。そして、銀行を頼りにしていた。何より、施設産業は設備が全てと考えてきた。が、ここに至って、その全ては無力だった。否、その全てが幻想だった事に気が付いたのである。伝統と経験は尊い事実である。しかしそれを活かす術を知らない。資産や資金はあれば支えだが、無くなってしまえば同時に失しなってしまうものである。銀行は良い時には頼りになるように見えても、その実態はとても人間の血が通っているとは思えないものだった。

それら過去の事実と体験の全てを通じて分かった。十年以上に及ぶ哲学の研鑽で知ることができた。それは、『確たる経営の目的』を持っていなかったこと。自分自身の『支えとなる哲学』が無かったこと。そして、どんな時でも頼れる『麗しい人間空間の存在』を夢寐にも知らなかった。

人間、たとえ無目的であろうが生きるために生きるのであれば生きられる。だが、その人生は果てしない大地を彷徨い歩くようなもの。また、いかなる支えも必要ないという人もいるかもしれないが、人間一人そんなに強く生き抜ける者は少ない。なかんずく、世の中、利害や損得だけの世界では決してない。友情や信頼、ヒューマニズム溢れた人間関係で繋がっている空間が、アンビシャスの中にはあった。

そして、村岡は立ち直った。ホテル和休は蘇ったのである。十年かかった。長く苦しい十年であった。あっという間の十年でもあった。自分自身と向き会い続けた十年。本気で人生を見つめた十年。人間とは何かを学んだ十年。経営・ホテル・サービス業・満足・感動・感謝等々と、アンビシャスで学んだことは限りなくあった。村岡はここに、確かな人生観を持つようになっていた。人生観は、そのまま経営の目的ともなり、今では目的観はさらなる使命感へと昇華していた。そうして、気が付けば多額の負債もバランスの取れた額になっていたのである。

彼の確信は強かった。だから、同級生でもあるハピネスの竹岡に対しては、人事とは思えなかった。反対に、何故もっと早く、自分から竹岡に会って話せなかったのかと、悔やんでいた。

とはいえ、正直、自分の事で精一杯だったのも事実。それでも、少し落ち着いた数年前に、この経営哲学を、否、人生哲学を伝えたいと思い、納入業者である大英食品の大隈に、そっとアンビシャスのダイレクトメールを渡していたのだ。そのことが縁で、今日はその大隈が竹岡専務を連れてくることになっている。縁とは実に妙である。つくづく人と人との出会いの不思議を感じずにはいられなかった。

 

有島をメイン・カウンセラーとするカウンセリングは、常務の満を加えて行われていたが、十二時を過ぎ、昼食を摂りながらの懇談になっていた。この頃になると、村岡は、しきりに腕時計で時間を気にしていた。するとそこへ、スタッフから大英食品の大隈社長がお見えになったことを伝えられた。

村岡は、人目の多いロビーではなく小会議室を用意していた。そちらへ案内するように、そのスタッフに言いながら立ち上がって、

「有島さんと満は、こちらで懇談していてください。場合によっては同席して欲しいので、その時は、どうぞよろしくお願いします」

有島に、笑みを浮かべ軽く会釈をしていた。

 

村岡が用意していた会議室は静かだった。村岡がその会議室の前まで来ても、人の気配がしないほどだった。瞬間、「ここじゃなかったかな?」と思ったが、ノックをしながら入ってみると、安西と大隈が正美を挟むように三人静かに並んで座っていた。

「これはこれは、お揃いで・・お待ちしておりました」

まさに、“待ち人来たり”といった思いで歓迎した。

「今日はお忙しいところお時間を取らせてしまいまして、申し訳ございません! 社長は、いつもお元気そうでなによりです。」

「何を言いますか!大隅社長こそお元気そうで・・・」

「社長こんにちは!安西です。常務さんとは、先月ゴルフで一緒でした。」

「そうでしたか?よろしく鍛えてやってください!ゴルフも仕事も下手ですからっ!」

そんなやり取りを見ていた正美は、名刺入れから一枚取り出していた。

「社長っ、紹介します。こちら・・」

「竹岡さんですね!専務さんでしたか?お父さんとは同級生の村岡です」

既に、名刺を一枚手にしていた村岡は、正美に近寄って差し出した。

「はじめまして、ハピネスの竹岡です」

この日正美は、自分でも不思議なくらい自然だった。ニュートラルな自分を感じていた。だから、父親と同級生であり大先輩の村岡に、深々と頭を下げていた。安西と大隈の二人も、今日の正美は鎧を脱いでいることを感じて安心した。

「いろいろ大変でしたね! でも、もう大丈夫ですよ!」

村岡は、正美を丸く大きな目で見つめながら言った。その瞳の奥では、「よかった、本当に良かった。」と、ハピネスの蘇生を信じていた。

「まあ、どうぞ!」

と言って、三対一で向かい合わせに座った。正美は、村岡の正面に座り、姿勢良く、頂いた名刺を見ている。そして、隣に座っていた紹介者の大隈が、

「実は、今日お邪魔したのは、社長もご存知かと思いますが、三月に竹岡専務のハピネスで食中毒事件が起きまして、・・」

「承知しています!」

彼は、そのことには触れないようにと考えていた。何よりも、その傷はまだまだ癒えていないだろうと思い、あえて、話をそらそうとした。それは、正美への配慮でもあった。

「承知した上で申し上げますが、それは結果です。そして過去です。結果には原因があります。最も大事なことは未来です。これからですっ!」

村岡は、午前中のカウンセリングで受けた指導を、自分の体験でろ過し自分自身の言葉で言った。さらに続けて、

「結果を云々しても、あまり意味がありません。問題は、原因にあるのです」

これも確かにアンビシャスの有島の指導ではあったが、今では、彼の偽らざる確信でもあった。実に指導は実践と結果によって確信に変わる。この変化こそ、自己変革であるとアンビシャスは言っている。

丸く大きな目に、少し力が入り目を細めながら、続けて

「何故そうなったのか?何が原因なのか?」

正美に問いかけるように言った。村岡は、安西と大隈を伺いながら、少し時間を掛けた。その二人は、村岡の気迫で、無意識に手帳を出してメモを取り始めていた。

「竹岡専務、専務は何故ハピネスで頑張るのですか?何のために経営をしてるんですか?考えたことはありますか?」

 

それは、アンビシャスに学び始めて、村岡自身が聞かれたことであった。その時は、正直答えられなかった。当時の自分の中では、経営上の理論的な大義名分は知っていた。それを経営理念とし、あるいは経営方針ともして、明文化して額に入れ飾っていた。だが、真正面から本音で聞かれては、どうしても答えられなかったのである。

 

村岡からの突然の質問に正美は、忙しく名刺を触りながら、苦しそうにうつむいているだけだった。しばらく空白のような時間が流れた。そして、礼子の言葉が急に脳裏に蘇ってきた。

「今日は一言だけ言わせてください! あなたは会社のために頑張っています。それは私も分かっています。だけど、その会社は、誰の為のものなんですか? あなた一人、竹岡家だけのものなのでしょうか?」 何の為に・・・

「あなた一人が、どんなに頑張っても、それが竹岡家や自分の為だけだったら、そんなリーダーには、誰も付いて行かないでしょう。少なくとも、私が社員だったら・・・」 なぜ?頑張るのか・・・

この時、正美の中では大きな反発のようなものが、急に湧き出してきた。人間とは全く不思議な動物だ。自然体で素直になったかと思えば、瞬間的、一瞬にして心を閉ざしてしまう。かくして、人は理解され認められたときは、驚くほど謙虚になれるが、理解されていない、認められないと感じ、まして謗られようものなら、一転、驚くような行動をとることもある。

 

『原因だかなんだか知らないが、俺は理論を知りたいんじゃない!』

『何の為って、食中毒と何の関係があるんだ!』

『俺は結果を良くしたい、経営を良くしたいだけなんだ!』 

ハッキリと答えられない苦しさと、心意を理解できずに妬ましくさえ思っていた。その複雑な胸の内は貧乏ゆすりとなって、体が小刻みに揺れていた。それを見て、

「専務っ、私が専務に伝えたいのは、その「何故」「何の為」というのが、原因だと言うことなんです!・・・・そして、その原因を改めない限り、専務が望んでいる結果は、決して得られないと言うことです。これは、私自身の体験的な確信です!」

村岡は、これ以上は・・と、自分を抑えた。そして、誰も手をつけていなかったお茶をコーヒーに換えて、場の雰囲気をコントロールしようとした。それでも、空気を換えきれずに、

「実は今日、午前中カウンセリングが有りまして、アンビシャスの役員の有島さんが来ているので、是非ご紹介したいのですが?」

と、大胆な提案をしてみた。それには、安西も大隈も「助かったっ!」とばかりに喜んだが、正美は無反応だった。半ばどうでも良いという表情で、タバコを取り出し吸い始めていた。

 

こうして同席することになった有島と満は、簡単に名刺交換をして村岡の両隣に座っていた。早速、空気を察した有島が、

「安西社長も大隅社長もどうしたんですか?怖い顔をしてっ、ゴルフでOBを連発した時のような顔をしてますよ! おぅ~怖っ」

二人は、お互い顔を見合わせて、

「えっ、そんなことないですよ! いやっ、怖い顔をしてました?俺たち」

「そうなんですねぇ~、自分じゃ自分を確認できないんですね~これが!周りに映っている姿が正しいんですよ。まぁ、評価は他人ってとこですかねっ!」

有島節が始まった。持って生まれた陽気な有島流のユーモア一杯の話は、堅苦しい哲学も、時にジョークにしてしまう。

「自分の睫毛すら見えないのに、反対に自分以外は、これがまたよく見えるんですね!」

多くの場合、人は様々な問題や事件に出会った瞬間に、そのことに目を奪われ、自分自身を見失ってしまうことがある。どうして良いか分からなくなってしまう。つまり、パニックを起こしてしまう。実は、そこが大きな落とし穴でもあるのだ。問題に悩まされ、事件に振り回されてしまう。そして、やがて取り返しのつかない事態まで気が付かない。気がつけばまだ良いほうで、事態に飲み込まれてしまうことが多いのだ。

大隈から竹岡専務の情報を聞いていた有島は、彼流の冗談のような話で、しっかりと正美にメッセージしていた。

「誰か教えてくれる人が居ればいいんだけどねぇっ・・それでも気がつかないと、身の回りに“これでもかっ”て言う、結果や現象が起きてきますから!ねっ、大隅社長?」

急に振られた大隈は、思わず正美を見ていた。そして、

「専務、せっかくですから有島さんに、聞きたいことがあれば聞いてみてはどうですか?」

コーヒーを飲みながら聞いていた正美は、タバコの火を消して、有島を上目使いに見ながら、

「一つだけ聞かせていただけますか?」

鎧を脱いでいたはずの彼は、いつの間にか全身を固めていた。

「哲学で変わるんですか?哲学を勉強して売上が上がるんですか?経営が良くなるんですか?」

正美は声を太くして聞いた。その質問に全員が有島の顔を見た。常務の満にいたっては、午前中のカウンセリングで使っていた、ボイスレコーダーのスイッチを入れていた。

「哲学で売上は上がりません!哲学を学んでも経営は良くなりません!」

有島にもスイッチが入った。それでも、穏やかで包み込むような姿勢は変えずに、言下にそう言い切った。これには正美も驚きを隠さなかった。

「では、何の・・」

「私たちアンビシャスの哲学は、結果を変えるための道具ではありません。まして、経営の手段として使うのでもありません。自分自身のためのものなんです!」

大隈は安西を、村岡は常務の満を見ていた。そして大きく頷いた。有島を睨むように見ていた正美は、何か言いたそうにしている。

「アンビシャスでは、トップが変われば結果は変わると言っています。システムをどんなに変えても結果は良くならないし、施設を充実し社員を教育しようとも、その会社は経営トップリーダー以上にも以下にもならないのです。それが結論です!」

有島は、持てるエネルギーを出し切るように言った。それを隣で聞いていた村岡は、自分の子供を諭すように言葉を継いだ。

「難しいことは何もないんですよ、専務。結果的には売り上げも上がるし、会社も良くなりますから、必ず。専務が変わることだけです。変われますから・・・こんな私だってっ・・」

「私からもいいですか?」

ここまで黙って聞いていた常務の満が、身を乗り出していた。

「竹岡先輩、僕は父を傍でずっと見てきました。経営状態の良い時も倒産寸前の時もです。その父の姿は見るに耐えない時もありました。ですが、父は変わりました。確かに変わりました。それはアンビシャスとの出会いからです・・・優しくなったんです!会社の責任者ではありますが、売上や利益よりも社員とお客様のことを最優先に考えているように見えます!生活も変わりました。きっと日常の生活から変えているんだと思います。それは大変だと思います。だけど、今では社内が明るくなっています。なにより、その社長の変化と連動して、全てが音を立てて変わっているのが分かるんです!特別なことは何もありません。特別何かをやっているわけでもありません。社長の変化だけです。このホテル和休のトップリーダーである社長たった一人の変化で、経営は良くなっています・・・・」

思いの丈を話した満は、真剣そのもので薄ら涙を浮かべていた。

それでも尚、正美にその思いは届いていなかった。

「・・・それは俺じゃなく、親父、社長に話してくれ。ハピネスのトップは俺じゃない!俺じゃないんだっ、俺はトップリーダーでもなんでもない! 何だって言うんだ、よってたかってっ!・・・」

そんな思いで益々息苦しく感じていた。

「よく分かりました!帰ってから社長と話してみます!」

逃げたかった。ここから早く帰りたかった。結局、誰も分かっていないんだ。ハピネスの現状は誰にも分からないし、分かってももらえない。自分が馬鹿だった。正美は軽く首を振り、安西に目で合図をしていた。

この間、何度もコーヒーのお替りを頼んでは、口の渇きを騙していた、大隈はガッカリした。ここで有島が、

「専務もお忙しいでしょうから、今日はこの辺でっ・・竹岡専務、せっかくの出会いです、一言だけ申し上げておきます。」

有島も姿勢を正して、最後に、この出会いに感謝の思いを込めてメッセージした。

「社長・お父さんの問題では決してありません。トップリーダーとは肩書きのことではないんです。専務のあなたです!気が付いた一人がリーダーであり、その一人こそ変革の主体者となるのです!そういう意味で、専務しかいません!他の誰でもないんです」

 

安西、大隈、正美の三人は、それぞれに晴れない思いで、しぶしぶ帰っていった。その車中も、実に重たい空気のまま誰も無言でいた。

その三人を見送った村岡と有島は、

「申し訳ありません、上手く伝えられなくて・・何とか良くなって欲しいと」

少し落ち込んだ様子の村岡だったが、

「大丈夫です!彼は必ず気が付きます!いい仲間になると思いますよっ」

有島は信じていた。安西、大隈、そして村岡と、こんな素敵な方々に囲まれている正美が、気付かないはずはない。と同時に、有島の長年の勘であった。

 

安西にハピネスまで送ってもらった正美は、事務所の机でパソコンを開いていた。そして、今月の予約状況と資金繰りを確認した。

その資金繰り上では、婚礼予約の多い十月、十一月は何とか回ってゆくが、年末から一、二月にかけては資金ショートを起こすというものだった。そのことが気になっていた正美は、帰りに社長の自宅に寄って、資金繰りの相談をしようと考えていた。

と、その時だった。携帯電話と事務所の電話が同時に鳴った。会社の電話はフロントで小林由香が、そして正美は携帯電話を手に取り、立ち上がりながら出た。携帯の着信を見ると、それは礼子からだった。

「はい、私です!」

憂いを持った正美の声は小さくかすれていた。

「あなた?今どこにいらっしゃいます?」

「んっ、どうした? ちょっと前に会社に戻ったばかりだけど・・・」

「私も今、東京から帰ったばかりなんですが、ついさっき、お母さんから電話があって、今病院にいるみたいなのっ」

「お袋が?それで・・?」

「お母さんじゃなくて、お父さんが入院するみたいなの」

「親父が?それでどうしたって・・?」

「病院の先生から話したいことがあるので、ご家族の方がいらっしゃったら呼んでくださいって言われたようなのよ! それで、驚いて電話くれたみたいなの! あなた、今から病院に行ける?」

「わかった!大丈夫だ。今すぐ行ってみるよ、ありがとう。何かあったら電話するから」

フロントで小林が取った電話は、現・非常勤取締役で叔父の武志からで、正美が電話中ということもあって折り返し掛けていた。そして、内容は同じだった。

 

武夫は社長でありながら、ここ半年、会社には殆ど顔を出さなかった。現場は正美に任せ、彼は資金繰りのための、資産売却や銀行対応に追われる毎日。そして、その目処がたった二ヶ月ほど前から、体調を崩し妻の洋子とともに自宅で休養を取っていた。今年で六十七歳になる武夫にとって、あの食中毒事件以降の心労は、計り知れないものがあった。

二週間ほど前からは、食欲不振で体重が急激に減り、咳や手足の痺れに加え、痛みも訴えるようになっていた。それを心配した洋子が、自分の掛かりつけの病院へ無理やり連れて行っていた。それでも、せめてもの親心で、心配をかけまいと、正美夫婦には黙っていたが、実は、その検査の結果が今日だった。

検査結果は、腎臓癌。既に、リンパ節や肺に転移していて、ステージ4と診断された。いわゆる末期である。実際、武夫を襲う痛みは日を追ごとに激痛になっていた。この日も、鎮痛剤を投与されていたが、それも効かない状態にまで進んでいた。

 

診療時間の過ぎた診察室に呼ばれた洋子と正美は、担当医から、病状を丁寧に告げられた、その結論は年内の命というものだった。

それを聞いた妻・洋子の落胆は大きかった。半世紀近く武夫を支えて生きてきた彼女にとって、支え仕える人を失うということは、自らの支えを無くすことと一緒だった。まさに、夫唱婦随の人生といえる。

そんな母に掛ける言葉もなく、ただ天を仰いでいる正美。そして、驚くほど小さくなっていた母の肩にそっと手をやり、二人は診察室を出た。

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