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運命の星(十八)

運命の星(十八)

ハピネスでは朝礼の時間になっていた。

「一月四日、朝礼を始めます! 皆さんおはようございます!」

「おはようございます!」

全スタッフがロビーに集まり、営業部の佐藤が中心となって進められていた。そして、そこには正美の姿があった。これも有島からのアドバイスがあって、昨年末から正美を中心者として毎日行われるようになっていた。それには、支配人の荒木の提案も加わり、この全体朝礼とは別に、これまで行っていた各部署の朝礼を、部門ミーティングに改め、並行して行うという改革であった。

一番緊張していたのは正美だった。まだ慣れない彼は、アンビシャスの有島から、幾つかの留意点、注意点を与えられていて、それを考えながらスタッフのセンターに立っていた。『話は短ければ短いほど良い』『元気で前向きになれれば良い』『スタッフ一人ひとりへの感謝』等々。考えれば考えるほど喋れなくなっていた。その時、進行役の佐藤から、

「それでは、年頭にあたり専務から一言いただきたいと思います!」

その呼びかけに、思わず一歩前に出て一同を見回した。中には、下を向き時計を見ている者、腕組みをしている者、あるいは、如何にもふて腐れたように、斜に構えている者などが何人かいた。正美だけでなくスタッフの多くは慣れていなかった。特に調理場の人間は分かりやすかった。明らかに、朝の仕込みの時間に迷惑だといった表情を隠さなかった。瞬間、正美はその態度を苦々しく思ってしまったが、有島のメッセージを奥歯で噛み締めながら、そして、有島が熱く語ってくれたメッセージが蘇っていた。

『何の為?誰のため? 経営トップリーダーとしてのそれは、スタッフのためです。スタッフ一人ひとり、その家族のためです。ハピネスは何の為?誰のため? 地域社会のため、お客様の満足と喜びのためです。そして、取引先のためでもあります。結果的には自身と家族のためにです!これが原点です!』

正美は自分の言葉で、率直に話した。

「皆さん、新年あけましておめでとうございます!昨年は、本当に色々な事があり、皆さんには苦労ばかり掛けてしまいました。全て私がだらしないばっかりに・・本当に申し訳なく思っています。」

そう言うと深々と頭を下げた。これまで決して見ることのなかった光景にみな驚き、下を見ていたスタッフも思わず顔を上げ、姿勢を正していた。

「私は今日から始まるこの一年間、皆さんのために頑張ります。お客さんの期待に応えられるように頑張ります・・・」

話し始まると、思いが溢れ出てきてしまった。が、その言い尽くせない思いを込めて、たった一言だけ。

「どんなに険しく遠くとも、皆さんと一緒に、幸福の港を目指して出航します! ハピネス号は、本日より、大航海に船出です!・・・どうぞ、どうか、よろしくお願いします! 以上。」

その短いメッセージに込めた正美の思いを知っていた荒木は、完全に涙腺が怪しかった。それをスタッフに気付かれないように、下を向いて一人小さく肩を揺らしていた。

 

この後も、アンビシャスの哲学、つまり人間中心の考え方を実践的に取り入れ、各部責任者が集まる執行部会議を行っていた。その会議では、経営上の数字や展開・方法は一切なく、スタッフ一人ひとりの状況や状態を確認し、そのスタッフがどうしたならば、仕事がやり易くなるのか?あるいはまた、各部からの要望や一人ひとりの希望などを確認していた。つまり、内部の充実を主眼においた会議が行われた。

これまでの会議と言えば、結果としての数字と売上、各人の目標と実績、さらには、一方的な指示と命令といった内容であったが、それが一変していた。

『数字の前にお客様、さらに身近なスタッフの存在が極めて大事である』

との、アンビシャスの指導を実践しようとしていた。それでも、まだまだスタッフの中には戸惑いもあり、連携も上手く行かないケースもあったが、正美は微かな変化の兆しを感じながら、勇気と確信だけを持って最前線に立っていた。

こうして二〇一〇年のスタートを切ったことを確かめるように、正美と荒木は応接室で、これからの日程を確認していた。

「専務、朝礼では・・・あらためて、どうぞよろしくお願いします!」

荒木は、言葉にならない思いを込めていた。そして、

「専務っ、ではなくて、そろそろ社長じゃないんでしょうか? キャプテンに違いはないのでしょうが、実際・・・」

「そうだなぁ、そりゃあそうだ! 実は、登記上は既に代表取締役になっているんだけどねっ。対外的にも常識的にも、それはハッキリしないとな!」

正美は嬉しかった。今までには無い心地よさと言うか、心強さのようなものを感じた。この時、“心が通じる”というのは、こういう事かと実感していた。

「ありがとう!わかった。アンビシャスに確認してみる!それで良いか?」

間違いなく今までの専務ではないと感じた。と同時に、トップ自らが確認でき、信頼し相談できる人がいることに、安心した荒木は、

「よろしければ是非一度、私もアンビシャスに会わせて頂けませんか?」

「勿論、それは構わないが、急にどうした?気になることでもあるのか?」

「いいえっ、失礼ですが正直に言えば、専務変わりました!少なくとも私はそう思っています。 それは・・・遠くの存在だった専務が、今は近くに居るみたいな。申し訳ありません、上手く言えなくてっ!」

「そうか、変わったか?そう見えるか?喜んで良いのか、全く恥ずかしいことだよ。アンビシャスね?この会社も変わってるよ、ちょっと! でも、お陰で気が付かせてもらっている最中なんだ。厳しくて少し痛いけどねっ。」

益々興味を持った荒木は、

「一つだけ良いですか? アンビシャスって、どんなコンサルなんですか?」

正美は、自分でもまだ上手く説明できないことを、大きな笑顔を作りながら困って見せた。

「それが、コンサルではないんだ!カウンセリングって言ってね・・・要するに、人間・・・? 駄目な私を叩き直してくれる・・かなぁ」

全く理解できずに、首をひねりながら下を向いてしまった荒木に、

「悪いっ、やっぱり上手く説明できないわ!今度、必ず紹介するから。それが一番早いし確かだ・・えっと、今月は二十日がカウンセリングになっているから、その時に・・・」

なんだか訳の分からない説明だったが、渋々承知するしかなかった。それでも、こうして専務と自然に懇談できることを、心から嬉しく思っていた。

 

同じ日、安西物産も仕事始めであった。だが、二〇一〇年の初日としては、事務室には緊張した空気が漂っていた。

この日安西は、用事があって少し遅れて会社に着いた。事前に電話連絡してあったため、年初の挨拶と朝礼は社長を待ってからということで、まだ行われていなかった。その安西がドアを開けた途端、聞こえてきたのは、叔父で副社長の良彦の怒号だった。

「いったい、お宅はどうなってるんだ!こっちの手元には発注伝票も受注承諾のファックスもあるのに、どういうことなんだ!説明しろっ、説明を!」

安西は、瞬間、眉間にしわを寄せて、事務員の顔を見た。そして、ゼスチャーを使って、どういうことなのかを確認していた。

「ふざけるんじゃないよ!今更なにを言ってるんだ!どうしてくれるんだよ、お客さんに何て言って謝ったらいいんだ!これは信用問題だよ信用!大変なことだよ!あったくう~っ」

ここまで聞けば、何となく分かった。あまりに冷静さを失っていた良彦を見かねて、

「副社長っ、副っ、私が代わりましょう!」

半ば強引に受話器を取り上げていた。それでも、興奮冷めやらない良彦は、安西を睨み付けるようにしていた。

「もしもし電話を代わりました。社長の安西です!いつも大変お世話になっております。どうか、本年もよろしくお願いいたします! 大変申し訳ありませんが、もう一度、事情を説明していただけませんか?」

副社長の良彦は、怒りが収まらず椅子が壊れるほど蹴飛ばして、部屋を出て行ってしまった。

「なるほど、わかりました。では、そちらはそちらで引き続き、出来る限りの対処をお願いいたします!正月早々、お騒がせして申し訳ありません」

安西は、手を額に当て本当に困った表情をしていた。それは、取引の問題ではなく、副社長の対応を思い悩んでいたのだった。

聞けば、年末に駆け込みで発注した商品が、先方の受注ミスで、明日の納品に間に合わないというものだった。確かに、受発注のトラブルは、これまでに何度もあった。というよりは、付き物のような問題でもあった。それを、責任感とはいいながら、一方的に自分の正当性を突きつけて、罵声に近い言葉を浴びせる。よっぽど相手の姿勢が不遜で、反省の色を見せないのであればまだしも、平謝りで詫びている相手に、容赦しない言葉の暴力で叩きのめすようなものだ。

安西は、年の初めがこんな雰囲気ではと、一人強い決意で朝礼に臨み、出来る限り重たい空気を変えながら、年頭の挨拶をした。そして、荒らしく飛び出して行って朝礼にも出なかった副社長を気に留めながら、どこかに電話を掛けていた。

「もしもし、安西物産の安西と申します。本年もどうぞよろしくお願いいたします。恐れ入りますが、大隅社長はいらっしゃいますでしょうか?」

安西は、事務員に問題の発注伝票を貰い、机にそれを開いていた。

「もしもし、あっ、おめでとう!本年もどうずよろしく! いいえっ、こちらこそ・・それで、正月早々で悪いんだけど、ちょっと発注ミスがあって・・商品が届かなくて明日の納品に間に合わないんだよ・・・そうか、じゃあ今、発注伝票をそのままファックスするから確認してくれないか? 大隈っ、本当にすまないが頼むっ・・・ん、じゃあ連絡もらえるか?ありがとう」

大隈からの連絡を待つ間、改めて、副社長のことを考えていた。もう三年近く、アンビシャスの言うことを信じ、『自分が変わる』その一点で頑張ってきた。『トップが変われば会社は変わる』それは自分なりに手応えも感じていた。しかし、側近である副社長の変化は全くない。それどころか、悪くなっているようにさえ見える。自分が変わることに不満はないが、全く変わろうとしない副社長は大いに不満であった。そう考えているうちに、アンビシャスの哲学にも例外、もしくは、限界があるのではないか?という思いになっていた。安西は、書棚からアンビシャスのテキストを取り出して、当てもなく捲り始めていた。そこへ、大隈から携帯に電話が掛かってきた。

「安西か?大丈夫だ!何とかしたからな・・午後には、そっちに商品を運ぶように手配しておいた。」

「ありがとう!借りが出来てしまったなっ、必ず穴埋めするから!本当にありがとう!」

「なに言ってんだっ、後でワインでもご馳走になるよ! それじゃっ」

安西は、携帯を拝むように持って、大隈に感謝していた。

 

その頃、大英食品では弟の専務・佑二が、社長の真一に噛み付いていた。

「たった今、管理部から連絡がありました。社長っ、安西物産に商品を回すってどういうことですか?あの商品は、明日の納品分なんです。在庫はあれしかありません!どうするんですか? 社長っ、断ってください!社長が断りずらいのであれば僕がっ!」

顔を真っ赤にしながら、今にも飛び掛らんばかりに訴えてきた。

「それは悪かった。確認も報告もせずに、直接指示してしまった。でも、あれは安西に回してやってくれ!安西は困って俺のところに連絡をくれたんだ。あいつが俺のところに来るのは、よっぽどのことなんだ!すまないが、そうしてくれ!」

「なにを言ってるんですか?うちのお客さんはどうなるんですか?友達だかなんだか知りませんが、ビジネスに友情を持ち込まないでください。現場に言って商品の移動を止めます!いいですね」

大隈は無言のまま、内線でコーヒーを二つ頼んだ。そして、一つ大きく深呼吸してから、

「専務、座ってくれないか?少し話したいんだ!」

こんな事でもないと、ゆっくり話せないのかと、情けなく思いながら、応接ソファーに向かい合わせて座った。

「話って何ですか・・・」

「・・仕事?ビジネス?その現実だけを見ていれば、専務の言う通りだ。だがなっ、人が困っているのを、何とかしたいと思うことが悪いことなのか?」

「そんなことは言っていません!それを一緒にしないで欲しいといっているんです。ビジネスです。何を言いたいんですか、社長はっ」

そこへ、コーヒーが運ばれてきた。大隈は、少し落ち着けと思いながら、専務にコーヒーを勧めタバコに火を点けていた。

「そうか、一緒にするなか? じゃあ言おう!お客に頭を下げてでも、俺は今目の前で困っている人を取る!困っている人を優先する!それが俺の哲学だ! それなら良いか?」

気負いの全くない力のある一言に押され、一瞬、専務は引いてしまったが、それだけでは収まらない佑二は、日頃思っていたことを口走った。

「哲学って、それもアンビシャスですか?カウンセリングですか? 困っている人を優先する? 安っぽい宗教法人の、いい加減な説教のようなことを信じてるんですか?カウンセリングと言う名のマインドコントロールじゃないんですか? 社長、目を覚まして、現実を良く見てください。現実を良~く!」

大隈は、目の前に自分自身の姿を突きつけられている思いがした。弟の姿を借りた自分の姿を。専務と言う鏡に映っている自分の姿を。

「悪かった。そんな風に見られていたとは、正直知らなかった。それより、社長としても、兄貴としても信用されていないってことが、ハッきり分かったよ。」

意外な反応に、専務は目を大きく開いて、社長の次の言葉を待つしかなかった。

「俺はまだ、勉強中だから専務には何もないが、今回の件を通じて一つだけ言っておきたい。それは、専務が言う『友情』も、取引先との『信頼』も、お客様からの『信用』も、これ皆、人間関係のことではないだろうか?友達も取引先もお客様も、みんな人間である以上、どれも大事なことだと思うんだ。そうであれば、困っている人を先に、何とかしたいと思うのが当たり前じゃないかな?その上でというか、そうしてから迷惑の掛からないように最善を尽くす、出来る限りの努力を試みる」

「それは・・・私は頭を丸めた人の説教を聞きたいのではありません!現実離れした理想論など聞きたくありません。」

「分かった。でも、もう少し聞いてくれないか? 俺は、お客様はどうでも良いなどとは言っていない。ただ、自分の事だけを考え、自分たちだけ良ければ、それで良しとしたならば、大事な『友情』を失うことになってしまう。何よりも、『信頼』も『信用』も根本は一緒だと考えるならば、自分さえと言う『エゴ』によって、やがて全てを失ってしまうのではないか?そのことを憂えているだけなんだ。」

それでも尚、専務は社長が言いたいことを理解できずにイライラしていた。

「とにかく、商品は安西のところへ・・・盛岡営業所と郡山営業所に在庫が少しあることが確認できた。それから、今日、東京に出ているトラックで、直接メーカーに行って、あるだけ積み込んでくる手筈にもなっている。だから・・・心配掛けて申し訳なかった! 本当に悪かったなっ、今回の件で、安西に奢って貰うことになってるんだ、専務も一緒にどうだ?」

最後は、優しくなだめる様に、弟を気遣っていた。専務は、それ以上、何も言えなくなってしまい、「はい」とだけ言って、社長室を出て行った。

一人になった大隈は、弟の佑二の本音であろう一言を思い出した。

『安っぽい宗教法人の、いい加減な説教』か・・・と思い出し笑いをしていた。確かに俺も最初はそう思ったこともある。つくづく兄弟だなっと。ただし、経営のトップとサブとしての『認識のギャップ』と『考え方の違い』、そして、『関係性に於いての距離感』を、何とかしなければという思いを強くしていた。

 

それから三日後の一月七日、安西と大隈は商工会議所主催の賀詞交換会に顔を出していた。この行事は、単に恒例になっているだけで、さほど意味を持っていなかったが、何人かの気の合う仲間と会える少ない機会として、二人は出席していた。それにしても、参加人数が年々減っていた。会えるのを楽しみにしていた仲間も来ていない。だから自然と二人は一緒になっていた。そして、早めに切り上げ、どこかでゆっくり話そうと言うことになり、いつものバーへと向かったのだが、時間が早すぎて、お店が開いているか心配だった。着いてみると、看板はまだ出ていない。不審者のような格好で中を覗くと電気が点いていて人影があった。安西は、静かにドアを開け、

「もしもしっ、こんにちは、こんばんは!マスター・・安西ですが、早すぎました・・?」

時計を見ても明らかに開店前だ。大隈は、どこかで時間をつぶしてから来ようと言って、腕を引っ張っていた。すると、カウンターの下から、

「どうぞ、開いてますよ! 看板、忘れてました・・」

マスターの機転を利かせた嘘だった。勿論、一見客ではなく安西だと知ってのことだろ。それでも有難かった。

二人は、指定席のようにカウンターの一番奥に並んで座った。

「今日は、安西の奢りだよなぁ、」

大隈は、軽く肘打ちをしていた。

「それは勿論だよ! この前は本当に助かったっ、なんて礼を言えば・・」

「お礼はいりません、ワインをお願いします。この店で一番高いワインを。その代わり、一本で勘弁してやる。それでどうだ?」

二人は顔を見合わせて笑っていた。それを聞いていたマスターは、二人の前に大振りのワイングラスをそっと出して、高そうな赤ワインを安西に手渡した。

「マスター、マスターこれ、幾らっ?」

「お店からの御年始代わりです!二本目からお代は頂きます」

安西は手を叩いて喜んだ。マスターに何度もお礼を言いながら、大隈に勢い良く注いでやった。大隈も意地悪に、早く一本目を空けて、安西に二本目を払わそうと、無理無理一気飲みして見せた。マスターは長年の勘で、二人に何かあった事を察していた。そして、その二人に合いそうな曲を選んでBGMを流していた。

そうして、ワインボトルの底が見えてきた頃、安西が大きなため息をついて、急に塞ぎこむようにうつむいた。

「どうした安西っ、酔っ払ったのか?お前、体調でも悪いんじゃないか?」

大隈は本気で心配になった。

「いやっ、そうじゃないんだ! 大隅聞いてくれるか?いやっ、聞いて欲しいんだけど?」

下を向いたままの安西は、また大きなため息をついていた。その頃ようやく、開店時間になり二人のカップルが入ってきた。その二人は、お互いの肩に降り積もった雪を払いのけていた。

「なんだぁ、おいっ雪が降ってきた様だぞ!さっきまで、あんなに晴れていたのにな?」

うつむいたままの安西の顔を上げさせようとしたが、反応がなかった。これは重症かな?と思った大隈は、マスターにBGMのリクエストをしながら、時間をつくってから、

「本当にどうしたんだ?今日はおかしいぞ安西っ・・話してみろよぅ、俺でよかったら聞いてやるから!」

安西が言い出しやすいニュアンスの話し方で聞いた。すると、マスターに冷たいおしぼりを頼んで、思い切り力を入れて顔を拭いてから、

「俺・・アンビシャスで学んでから変わったか?お前から見てどうだ?正直に言ってくれ」

「安西っ急にお前、なにを言い出すんだよ本当に・・・変わったかって? じゃあ正直に言うよ! お前は間違いなく変わってる!しかも、進行形でなっ!」

大隈は、安西が何か壁にぶち当たっているのではないかと思った。

「副社長の件で今、本当にどうしたら良いか分かんなくなっちゃってるんだ・・実際、俺は俺なりに、アンビシャスの言う通り『自己成長』だ『自己変革』だと、本気で取り組んできた。だけど、もう三年だよ・・副社長は何にも変わっていない。変わらないだけならまだ良い、かえって悪くなってるような気がしてさぁ・・・正直言って、哲学にもカウンセリングにも、そしてアンビシャスにも例外と言うか、限界があるんじゃないかって思ってるんだ・・・」

大隈には分かった。その壁が何なのかが。それは大隈自身も経験したことで、『哲学の実践と現実』という、極めて高い壁であることを。

「なるほど、お前それを聞きたいんだなっ、本当に? じゃあアンビシャスの先輩として結論から言おう! それは、哲学に限界があるんじゃない。おまえの信念のなさが限界を感じさせているだけなんだよ。そして、副社長が悪くなっているんじゃなくて、お前が成長しているんだ。今まで見えなかったものが、哲学によって見えるようになった。安西っ、おまえ自身が変わっているからこそなんだよ・・・」

その友を思う迫力のある一言一言に、安西はうつむいていた顔を上げ、大隈の顔を眉をひそめてみていた。本気で、真剣で、強い思いを身体で感じてもいた。

「安西も知っているように、俺は未だに弟の専務との関係が改善されないでいる。つい最近も、その専務との距離感を強烈に感じたばっかりだよ。何とかしなければ、何とかして見せると、自分に言い聞かせたばっかりだ!」

大隈は、自分の事として静かに、そして、確かな自分自身の思いとして続けて語った。

「俺は、アンビシャスと出会うまでは、ところ構わず散々、それはひどい兄弟喧嘩をしてきた。年も離れていたから頭ごなしに唸り飛ばしたり、時には取っ組み合いになったことも。あいつが悪い、あんなやつが会社にいるからおかしくなるんだ。そういって、親父には相当食ってかかったもんだ。だけど、それで何かが変わることも、良くなることもなかった。今思えば、本当に恥ずかしくなる。それでも、アンビシャスで学んでからは、そのみっともない兄弟喧嘩はなくなった。それは弟の問題ではなく俺の問題だからだ。そう学んで信じてやっているからだ。今お前から言われて、改めて思うんだが・・『アンビシャスの哲学は相手を変えるために使うんじゃない。自分自身のために使うもの』ってことを、再認識させられるよ! 今の俺に言えることはそれだけだ」

ワイングラスを手に、ゆっくりと口に運んだ大隈は、タバコを二本取り出し、一本を安西に、そして、もう一本に火をつけ深く吸い込んだ。

「哲学に問題があるんじゃない・・・俺の使い方の問題なのか? カウンセリングの限界じゃなく、俺の弱さか? そうだった・・」

そう独り言のように呟く安西に、

「この壁を乗り越えるんだっ、安西。それだけは俺にはどうしようもない!お前自身が、自分と哲学を信じて・・・それしかない!」

ボトルに残っていたワインを自分で注ぎ差して、じっくり味わうようにしてから安西は、

「大隈、もう大丈夫だ!俺は大丈夫だよ・・お前には助けられてばっかりだなっ、本当にお前がいてくれて俺は、」

「はいっ、そこまで・・・他人行儀なことはやめよう!その代わり、俺が迷った時には頼むぞっ、俺が変なことを言い出したら、その時は厳しくなっ・・・今から頼んでおくよ!」

この夜二人は、ワインボトルを二本空けていた。そして、お決まりのように酔いつぶれて帰っていった。