経営カウンセリング事例紹介―スタッフ育成に悩む旅館経営者

小さな旅館の後継者である息子さんが、経営者、組織のリーダーとして成長するきっかけとなった経営カウンセリング事例です。ある‟出来事“を通して、その後継者は社員も自分と同じ人間であるということを認識して、社員から信頼されるリーダーになっていきました。そのプロセスをお伝えします。
経営カウンセリングのスタート
ある経済団体のフォーラムにお招きいただいて講演をした際、その地方で小規模旅館を経営するY社長と出会いました。社長は自社の経営問題もさることながら、自分の長男である支配人(二十九歳)の成長を心配し、彼の教育と旅館経営を合わせて指導を受けたいとおっしゃいました。
その旅館は正社員が20人ほどで露天風呂が評判でした。経営カウンセリングを開始すると、社長と息子の支配人の二人が抱える経営上の相談から始めましたが、毎月二回の訪問で二人から出てくる社内の問題は、数字などではなく従業員に対するものがほとんどでした。二人とも従業員の勤務態度の不満を挙げ続け「指導方法を知りたい。具体的に教えてほしい」との要請がありましたので、その後しばらくは人材育成中心にカウンセリングを行うことにしました。
社長と支配人の不満をヒアリング
経営トップの二人の従業員への不満を整理すると次のような内容でした。
・つまらない単純ミスが多く、それを繰り返す。
・いわれたことしかしない。自発性・積極性がない。
・新しい提案には「できません、無理です」と最初からしり込みする。
・毎日のように指導をしているが変わらない。いうことを聞かない・・・等々
色々なことを訴えますが、つまりは従業員が二人の思うように動かないことに悩んでいたのです。動かない従業員が問題の元となって「旅館の売上が上がらない」「ミスを重ねる」「気のつかない従業員が良くなれば旅館も良くなる」と考えていました。
数字的な問題も気にならないではないが「ともかく従業員の勤務態度や積極性の無さを何とかしたい・・・」と不満を打ち明けるのでした。
育成のポイント1―相手を変える前に
二人の悩みを聞き、二人の状況を見て、基本的な指導をしてみました。
「人を動かすには、まず①認めてあげて②褒めること、が最も大切なことです。厳しい指導では、ますますやる気をなくしてしまいます。そして、厳しい指摘をし続ける上司は従業員から信頼されないので、更にいうことを聞かなくなります。
その対処法は、1.褒める―2.褒める―3.褒める―4.相手の欠点を指摘しないで仕事に対する激励をする。
(※相手が自らのことでアドバイスを求め聞いてきたならば指導する。その時も『評価、指導、激励』という内容で行う)
このようなやり方が一番良い方法なのです。人を動かしたい、良く変えたいと思うならば、相手感情優先の考え方とやり方が最高の知恵となるのです。つまり最初に変わるべきは社長と支配人の考え方と行動からなのです」
誰しもが陥りがちな考え方のズレ
すると二人はすぐに反論しました。「それは甘やかしです、ますます仕事をしなくなります。厳しくいってやっといまのよう仕事の状態なのですから、この状態を褒めたりしたら、下手すればいまよりひどくなるに違いない。逆効果です。以前、あるセミナーで聞いて、従業員を褒めて使おうと努力したこともありました。でも、かえって仕事をしなくなりました。だから、もっときちんと管理する良い方法を教えてほしいのです」とのことでした。
もっともなことと認めながらも、反論に対する指導を続けました。
「褒めると甘やかすとは違います。褒めることは相手を認めて、尊敬していなければできません。甘やかすのは相手に対して思いやりがないということですので、相手から信頼されなくなります。また、以前は褒めたことがあるとおっしゃいましたね。それは何のために褒めたのでしょうか?思い(ねらい)の中に、従業員を上手に使うために褒めたのではないですか?相手を認めも尊敬もせずに、使うために褒めた行為や言葉は単なる『取引』の道具なのです。従業員はそのようなことをたやすく見抜きますのでその『取引』には乗りません。厳しくしないと仕事をしないと考えている人は、同じ人である従業員の人間性を信用していないという『人間不信』の考え方が心の根底にあるのです。自分の会社の従業員を信用、信頼しない社長や支配人を従業員は心のなかでは尊敬もしないし信頼もしません。言葉には出せず、仕事で反感を表し、当然やる気は起こしません」
そういうと更に反論が返ってきました。「おっしゃることはよく分かりました。しかし、そのように認めたり褒めたりして良く動くようになるには、ある程度の時間がかかると思います。第一、従業員がそれを理解できるレベルになっていません。指導されたやり方は我が社にはまだ早いような気がします」といって素直に指導を受け入れません。
多くの方が陥る考え方のズレに、自分は間違っていない・問題なのは周囲(相手・スタッフ・環境)なのだという捉え方が有ります。事実、その考え方が現場の実態だとしても、そのままの見方をして行動するのと、少し考え方の角度を変えてみるのとでは実は大きな違いになって表れます。その後の現場の状況をお伝えします。
ハンズオン型・現場指導にて
定期的なカウンセリングでは納得しない二人なので、実際、現場で問題を確認しながら指導することにしました。※弊社のインストラクションというハンズオン型の現場改善サービスです。
『現場一日目』
旅館の朝の仕事が一段落して中休みに入る前に全員で朝礼を行っていましたので、そこで私は従業員に紹介されました。簡単な自己紹介の後「私がここに来た目的は皆様の仕事がよりやりやすくなるお手伝いです。何か問題があれば遠慮なくいって下さい」とだけ挨拶しました。
朝礼後に二人が口を揃えて「もっと従業員に叱咤激励をしてほしかった」と不満をいってきました。そこで私は「初対面の時から叱咤激励などしたら、私は従業員全員から反発を買ってしまいます。あくまで大事にしなければならないのは相手の感情なのです。人間は感情で動くのです」と答えましたが、二人は納得していないようでした。
『現場二日目』
朝礼の時にお風呂を管理しているS君という社員が私に問題と要望を打ち明けました。「毎日、夜六時半頃から九時頃まで近所の方がお風呂に入りに来ますが、困ったことにお風呂場に置いてあるシャンプーボトルを持って帰る人がいます。昨日もなくなりました・・・どうにかならないでしょうか?」ということでした。
「分かりました。後で社長と支配人と相談してみます」と私は即答しないで、詳しいことを二人に確認しました。
すると、二人は「以前から毎日地域の人が銭湯代わりにお風呂を利用されます。するとシャンプーボトルが度々なくなるのです。だからといってシャンプーを引っ込めるとサービスが悪くなったといわれそうで、持って行かれないように紐か何か付けてもイメージが悪いでしょうし。S君に『お前が風呂場でちゃんと見ていればいいんだ』といったところ、忙しくて時間がありませんと断るのです。それで打つ手もなく・・・」とのことでした。
育成のポイント2―相手感情中心の対応
S君からシャンプーの問題提起があってから二日後、朝礼のなかでS君に話しました。
「Sさん、昨日もシャンプーはなくなりましたか?(1本なくなりました・・・)ああそうですか、分かりました。でもSさん、シャンプーは何本なくなってもかまいません、大した金額でもないですから。まして毎日たくさんの外来のお客様でわずか数本程度ですから、見方によっては少ない方です。足りなくなったらいくらでも補充しますから安心して下さい。そんなことよりも、ここに以前に泊まって頂いたお客様から手紙が来てますので、簡単に内容を紹介しますね。
『以前にそちらの旅館に泊まった者ですが、部屋も料理も大変満足でした。特にお風呂は気に入りました。泉質も良く露天風呂もきれいに清掃もされていて、とても気持ちよく景色を見ながら感動しました。あのような大きなお風呂は管理するだけでも大変だと思います。何度も入りましたが、いつ入ってもお風呂場がきちんとしていて気持ち良く入れました。管理している方にお礼をいいます・・・』とあります。
Sさんが仕事で頑張っていることをお客様は見ていたのですね。これからもお客様を感動させるお風呂担当でいて下さい」と全員の前で話しました。Sさんは照れながらも嬉しそうにしていました。
次のカウンセリングの時に支配人から報告がありました。
「あの朝礼の後、まずシャンプーの持ち帰りが少なくなりました。S君が以前とは比べものにならないくらい明るく張り切って風呂場の整理整頓に取り組んでまして、その結果だと思います。それを見て指導されたことが理解できました。このシャンプー事件ではS君を怒ったり、紐や撤去等の方法論で対応するよりもSさんを信じて、認めて、褒めて、という考え方とやり方が大事だったんだと気付きました。指導された『人間は感情で動く・相手感情優先』という考え方を、これから肝に銘じて従業員と一緒に「頑張ります」と嬉しそうに報告をくれました。そしてその後質問してきました。
「ところで、あの朝礼で発表した手紙は本当にお客様からきていたのでしょうか?あの日まで見たことがなかったのですが・・・」と。私は答えました。「もちろんお客様からです、ただしそのお客様とは私です」
まとめ
このことをきっかけに、支配人である息子さんはスタッフと現場で一緒に仕事にあたるようになっていきました。スタッフの大変さ、苦労を知ることで、リーダーの自覚も徐々に育っていきました。行動の変化もさることながら、スタッフに対する思いに変化が見られたのでした。社員一人ひとりを心から大事にし、信頼しているリーダーのもとには、そのリーダーを尊敬し信頼するスタッフが集うものです。
人材確保の難しさ、離職・転職の増加がいわれている昨今ですが、組織は互いの信頼によって成り立っているのは今も昔も変わりません。今回のテーマ「育成」とは、互いの信頼関係を築き、深めていくことなのではないでしょうか。
アンリミテッドクリエーション創立者・鈴木昭二曰く
:苦労している人を励ますのが指導者である、頑張っている人を讃えるのがリーダーである、皆を叱る資格など誰にもない、皆を喜ばせるために指導者はいる。
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