報われる努力・結果のでる努力

結果(成果)がでない考え方とは?
ある経営者の質問です。「経営において正しい考え方や誤った考え方はあるのでしょうか」と。
質問に対しこう答えました。「考え方は人それぞれです。ただし、結果がでる考え方と、でない考え方とはあります」と。
結果がでない考え方とは、「間違いではない」としても、「正しくない」考え方のことです。結果がでる考え方とは、「間違いのない・正しい考え方」のことです。そして、「間違いではない・・・・・・」、これが私たちを惑わせているのではないでしょうか。
たとえば、スタッフのために、あるいは、お客様のためにと様々な取り組みをする。それは間違いではありません。間違いではないので、正しくないことに、なかなか気づくことが難しく、よほど主体的な自覚がないと気づくことはできません。しかし、望むような結果につながらなければ、正しくないのです。結果がでない努力をつづけ、徒労感に苛まれてはいないでしょうか。
誰しもが陥る落とし穴①正しくとも微妙に狂う
例えば、ある社長が朝礼の大切さを学び、さっそく朝礼を始めました。ところが数ヵ月後、朝礼を始めたけれども現場はよくならず、それどころか雰囲気が暗くなっているとのこと。そこで朝礼の中身を聞くと、朝礼の最後に社長が訓示を延々と語り、スタッフがうつむいてしまう朝礼をしていたのです。朝礼をすることは間違いではありません。けれども、朝礼の中身、いわゆる「実践的角度の確認」が欠けていたのです。実際にあったことですが、朝礼の目的は、参加するスタッフの状態の確認、元気かどうかが第一です。その他には、その日の予定や業務内容、アポイント等のチェックもあるでしょう。しかし、トップリーダーや上長が持論を延々と話すような朝礼になっていたとしたら、また出ても全員が下を向いているようなミーティングだったとしたら、やる意味が有りません。ここでの実践的角度は、みんなが元気になる事です。
正しさの追求のために、必要なことは何か。それは、確認することと指導を受けることです。この確認と指導を受けるという姿勢が、極めて大事なことです。
ともすると、確認することと指導を受けることを、自分の価値観をベースに取捨選択してしまう、あるいは、都合の悪いことは確認も指導も受けないといった姿勢がどこかにないでしょうか。気になることはすべて、確認と指導を受ける姿勢が大事です。
この〝姿勢〟がなければ、たとえ努力の中身が正しくとも、微妙に角度が狂ってくる。この姿勢の狂いによって、目には見えない微妙な狂いが生じるのです。そして微妙な狂いの積み重ねによって、結果に大きな違いが生まれてくる。
それは、自分では気がつきません。だから気がつかないうちに結果が違ってしまい、何が誤っていたのかにも気がつかないのです。微妙な違いですが、結果は決定的に違ってきてしまうのです。
改めてこの〝確認と指導〟を受ける姿勢は、維持することが困難であることも事実です。
実は、ここが陥りやすい落とし穴なのです。学びつづけ多少わかるようになると、〝確認と指導〟が抜け、何となく事を進めることができるようになる。その結果、間違いではないとしても正しくないことをやり始めてしまうのです。すべてを確認する。指導を受ける姿勢がなければ、正しいことにはならないのです。それは姿勢の問題なのです。
一生懸命に努力しているのに結果につながらないことは、現実には数多くあります。それは、間違いではありませんが、正しくない努力をしているのです。厳しい見方ではありますが、現実問題、〝確認と指導〟を受ける姿勢がなければ、報われない努力を継続することになるのです。それでは、どんなに一生懸命に努力をしても報われません。
ぜひとも、私たちは、報われる努力、結果のでる努力をしていきたいと思うところです。
誰しもが陥る落とし穴②分かると変わるの違い
現代は、インターネットで調べれば、ありとあらゆる情報が出てきます。その情報量は、現代の私たちが一日の間に目にする情報量は、江戸時代で言えば一生分の情報量に値すると言われてもいるほど膨大なものです。その中から、自分に必要な情報を取捨選択する目を持つことが必要となるのですが、自分自身の会社、社員、職場に照らして見ることが結果、努力が活きる、活きないとの違いになっていきます。
インターネット情報やテレビ或いは書籍などから得た知識を自分のものとしなければなりません。そのためには、物事が分かっている状態から、自分自身がそのことで変われるとの状態にならないと、努力は報われません。いわゆる、結果に表れないものです。
よく言われることとして、松下幸之助氏や本田宗一郎氏は経営学の知識人だったのか?といえば、決してそうではありません。それぞれの産業を熟知していた方々であり、何よりも人間の本質を承知していた方だと思います。また、様々な情報を我が事として情熱的に取り組み、自分と環境を変えていった偉人だと思うのです。
つまり、法則や原則を分かっていただけでなく、それによって自らが変わる実践をされていたのだと推察します。正に、人間の智慧を有していたのではないでしょうか。
分かったつもりでいても、結果はそう簡単には変わらないものです。自らが失敗を重ね、思うようにいかなくても諦めずに挑戦し続ける中で「分かる→変わる」と変化していきます。それによって努力が報われるものと考えています。
どうせするならば報われる苦労を
最後に、弊社カウンセリングテキストの一文を参考にお伝えします。
■報われる苦労とは
苦労というものは、ただ苦しむためにするものではありません。負けても立ち上がれるようになるためのものなのです。苦しいと思っても、そこで負けなければその分だけ強くなれる。負けたことのない人は、勝つ喜びが本当の意味では分からない人なのかもしれません。苦しい事実を知らない人には、本当の喜びを知ることはできないのではないでしょうか。
冬があってこそ初めて春が来るのです。厳しい冬の経験があって初めて春を春と痛烈に感じるように、年中暖かかったとしたならば春の温もりを味わうわけにはいかないでしょう。
漆が何十回と塗り重ねることで光沢が出るように、人間も一回や二回の苦労では光沢(人格の輝き)は出てこないものです。(書籍『会社を蘇らせる』より)
弊社ではよく〝頑張ります!〟と言う若手スタッフに対し〝頑張らなくてもいいから、結果を変えなさい〟と。誰しもが、結果を出そうと、日々努力している毎日のことと思います。先輩社員と言われる方々は、後輩たちに、無駄な努力をさせないで、けっして空しい思いをさせないとの思いで、今後とも育成・指導にあたっていただけたらと思います。
■関連資料のご案内
人材育成はなぜうまくいかないのか?~人材育成を成功させるための3つのポイント