コロナ禍に物価高ーこの厳しい経営環境を乗り越えるには

現実を乗り越える根本からの変革
会社を経営していると様々な状況が起こります。バブル等の好況の波が追い風になり順風満帆のような時もあれば、思うようにいかない厳しい経営状態になる時もあります。その原因を探れば、自然災害、長引く景気低迷、市場の変化、スタッフの意欲や能力、商品力、設備、等々、いくつもあげることができると思います。しかし、弊社アンリミテッドクリエーションでは、「会社における諸問題のすべては、トップリーダー一人より起きている」と考え、「因、我にあり」との気づきを促します。
「因」=「可能性」
「因、我にあり」。その実践で案じられるのは、諸問題に対し「結局は自分か」と思い沈むことです。実は、この「因、我にあり」とは、事実に対する責任の所在や責任追及のことではありません。自分自身のなかに存在している「可能性」を指して「因」と言っています。
現実を乗り越えていく可能性、目の前に立ちはだかっているかのように見える壁を乗り越える可能性、将来をより良いものにしていく可能性、それら可能性の一切は自分自身にあるということです。思うようにいかない原因は自分にあるのだと自身を責め悩むのでなく、ぜひとも、自身に内在する可能性を自覚し、自分次第で現実を乗り越えられると信じていただきたい。
原因とは?
ありとあらゆる出来事には必ず原因があります。アンリミでは、その原因には、表面原因、本質原因、究極原因があると考えます。多くの場合には、表面原因を追究するにとどまり、やり方、方法、システムなどで対処・対応しています。
しかし大事なことは、根本からの変革ではないでしょうか。問題の原因を根本から改めない限り、姿・形を変えて同じような問題を繰り返してしまいます。 根本からの変革とは、表面原因をさらに掘り下げて一切の根本となる究極原因を見つめ直すことです。そして、根本となる究極原因とは、トップリーダー自身の哲学です。
哲学とは、概括的に言うならば、物事の見方・考え方・捉え方のことです。業績が思うようにいかない、スタッフが思うようにならない等々の諸問題、それは社長が悪いのではありません。ましてスタッフが悪いのでもありません。思うようにいかない根本の原因は、トップリーダーの物事に対する見方・考え方・捉え方に誤りがあるのです。
「因、我にあり」の正しい実践
正しい見方・考え方・捉え方を端的に言えば、ヒューマニズム、人間尊重、相手中心、相手感情優先などと言い表すことができます。
たとえば、スタッフ、お客様、取引先、売上、経費の諸々をどう見て、どう捉えているのか。会社のためのスタッフ・お客様・取引先なのか、スタッフ・お客様・取引先のための会社なのか。あるいは、現場指導をするにしても相手中心、相手感情優先に考えているのかどうか。物事の一つひとつをどう見て、どう捉えているのか、それらを丁寧に正していくことが、「因、我にあり」の正しい実践です。
経営環境の変化に対して
原油の価格高騰などの影響で、ガソリンや灯油も値上がりし、連鎖的物価高へと発展し、多くの企業や消費者の生活を圧迫しています。会社によっては深刻な状況となり、折からのコロナ禍から立ち直れて居ない状況の中、廃業を迫られているケースもあります。限られた資源や農作物を、先進国や経済成長が目覚ましい国々が奪い合うのですから、大局的にはそれらが高騰するのは当然と見る識者もいます。
何となく思ってはいたものの、実際、原油市場の高騰や物価高が、自社の経営に現実に悪影響を及ぼすという事実を見ても分かるとおり、いまや世界経済、世界情勢は、世界的企業のみならず、多かれ少なかれどんな会社にも直接影響を及ぼします。
広く世間を見る
このような外的影響を受けるなかで、困難な状況から脱して経営を好転させるのは、簡単なことではありません。経営者は常に、どのように舵を切るのか、正しい判断が求められます。そのためには、経営者やリーダーには、大局に立った冷静な視点が必要です。
私たちはどうしても、直接的に関係する国内の景気や自社を取り巻く地域市場にばかり目を向けがちなものです。しかし、一見、直接関係のないことのように感じられる世界経済や他業界のことも、少なからず私たちに影響を及ぼしています。
たとえば、穀物の高騰は、直接穀物を扱う企業のみならず、穀物を飼料にしている食肉や乳製品を扱う企業にも影響を与え、食生活全般に影響を及ぼします。そのような変化は、いずれは経済全体を動かす要因ともなりうるわけです。
大切なことは、広く世間を見て、直接関わらないことに関しても、変化や今まで気にとめていなかったようなことをしっかりと認識していくことです。自社に直接関わる変化が起こってから対策を講じるのと、変化が起こる前に備えているのとでは、結果は違います。
今、IT技術の発達や少子高齢化、エコや健康志向などの価値観の変化など、様々なことが世の中で起こっています。こうした問題や変化に対して、実際に具体的な準備をすることはできなくとも、そうした視点で世の中の動きを見ることがとても大切です。
ありのままの現実を受け入れる
また、広く世間を見る一方で、自社の状況を正しく見ることが大切です。そのためには、ありのままの現実を見つめることです。自社の売上や利益、商品力や営業力、あるいは、顧客や取引先からの評価やスタッフの状態、等々。さらには、自社の現状はトップリーダー自身の姿の現れと捉え、自分自身を見つめるのです。つまり、日頃から自分の目指すものを確認し、日々の行動が正しいものになっているかどうか問いつづけることです。
経営が厳しい状態になった時に、環境やスタッフのせいにしたところで、そこからは何の効果的対応も生まれません。次々と問題が起こり、困難な状況に陥ったとしても、自社の問題を自分自身の問題として真剣に受け止め、自身を省みる、そこから活路を見出していく。こうした姿こそ、経営者に求められているのです。
厳しい時にこそ情熱を
誰にでも情熱を傾けて熱中する物事があると思います。その対象が仕事という人もいれば、趣味という人もいるでしょう。また、以前は情熱を持って取り組んでいたのに、時間の経過とともに熱中できなくなったという場合もあります。
情熱という感情を持続することは難しいものです。一生を通じて情熱を発揮した人もいるでしょうが、そういう人でさえも人生のなかで熱く燃えた時、醒めた時の情熱の濃淡はあったはずです。人生はベストな状態が永続するわけではありません。嵐に遭遇することもあれば、落ち込むこともあります。大きな不幸はなくとも、日々の生活が惰性に流され、かつての熱き思いを忘れてしまうことは少なくありません。
思い返していただきたい。創業時や新たな事業を始めた時には、溢れんばかりの情熱を注いだことでしょう。普段は冷静に振る舞う経営者であっても、「どうしてもやりたい」、「いままでにないサービスを提供する」といった熱き思いを原動力にして、事業を牽引してきたのではないでしょうか。
情熱の〝種火〞に再び火をつける
ところが、数十年という歳月が流れ、かつては抱いていた情熱を忘れてしまうことがあります。とくに、経営が停滞してマンネリ状態になると、消極的になる傾向があります。あるいは「何をやっても駄目だ……」と悲観し、落胆してしまうことも。
しかし、どんなに厳しい状況のなかでも、経営者には事業に対する情熱の〝種火〟があるのです。情熱の種火とは創業時や新しい事業をスタートさせた熱き思いです。それを思い起こせば、種火は情熱の炎へと昇華して、再びメラメラと燃え盛ることでしょう。
忘れてしまった情熱に火を灯すことを、言い換えると、創業時に抱いていた原点に立ち返り、初志を思い出すことです。初心に戻り若々しい気持ちで行き詰まった現実と向き合えば、現状を突破する術が必ず見えてくるはずです。自身の原点を支えとして、果敢に挑戦していくのです。
先日、当社が主催したイベントで、若い経営者たちにそれぞれの夢を語っていただきました。彼らは一見、高すぎるとも思える目標や壮大な構想を夢として話しました。それを聞いたベテラン経営者は次のような話をしてくれました。
「若い人の夢に感化され、忘れていた自分の情熱が呼び起こされました。どこか惰性があり、経験と聞きかじった知識でなんとなく体よく立ち回ろうとしていたことに気がつきました。沸々と意欲がわいてきた感じがします」と。
ベテラン経営者が感じた熱い思いは、私にもしっかりと伝わっていました。若い経営者たちの情熱が、ベテラン経営者の〝種火〟に飛び火し、やる気を奮い立たせたのです。情熱を燃やす喜びとともに、感動に包まれたひと時でした。
現状を打破したいと感じている経営者は、自分の内面にある情熱の種火に気づいてください。そして、自身の心の奥底に眠っていた情熱に、再び火をつけ、〝チャレンジ精神〟で困難を乗り越えようではありませんか。
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