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運命の星(七)

運命の星(七)

この日の仙台は、“春近し”と思わせる、暖かな日差しが眩しかった。東北一の大都会ではあるが、豊かな緑に囲まれているため、少しヒンヤリとした空気がおいしい。その新鮮な朝の空気を深呼吸していたのは、新幹線を降りたばかりの安西と大隈だった。

 

二人は、セミナー終了後に、近くの赤坂で数人の仲間たちと食事をした。お酒も入り、にわかセミナー感想発表会のようだった。全国から集まった様々な経営に携わる者同士、盛り上がらないわけがない。終わってみれば、一軒の居酒屋で四時間以上、飲んで食べて語り合った。

そんな和やかな中にあって一人安西は、『竹岡専務がこの席に居たなら・・』と、何度も思い出しては、後悔していた。

こうして、この日は名残を惜しみながら、皆と健闘と再会を誓い合って別れた。安西と大隈も、ホテルに戻り、明日の新幹線の時間を確認して就寝した。ただ、安西はベッドに入ってからも、なかなか寝付けなかった。

 

駅の改札を出た二人は、

「じゃぁ、また!」

そう言って別れたのは、午前十時を少し回ったばかりだった。安西は、駐車場に止めておいた車に乗り込み、会社に向かおうとしていた。そこへ、携帯電話がかかってきた。着信の表示から、それは会社からだと分かった。

「はい、私です! 今、仙台駅だから・・」

「社長おはようございます。分かりました、お待ちしています」

電話に出たのは、安西物産の副社長・安西良彦だった。

 

良彦は、年の近い父方の叔父で、創業間もなく入社していた。安西はその当時、家族というか親族を経営陣に加えることを躊躇っていた。それには訳があった。安西が独立する切っ掛けの一つで、開業前に勤めていた会社が、ファミリー企業の典型のようなところだったのだ。公私混同は日常的。会社内は親族の争い、感情的なイザコザが絶えなかった。そんな実態に嫌気が差した。

だが、そういう苦い経験を持ちながら、今では、その叔父との関係で苦しんでいた。

 

良彦が電話を切ろうとした時、

「何かありましたか? もし急用であれば、ここから直行しますけど?」

「いえっ、こちらに来てからでも大丈夫なんですけど・・えっ・・今朝早く、ハピネスの萩原調理長から電話がありまして、社長が帰ったら直ぐに来るようにと・・・いつもの調理長ではなかったですね」

急回転で思い当たりを探した。そして、車の時計を見て、

「わかりました。とりあえず会社に向かいます」

しばらくエンジンをかけたまま、何があったのか思いあぐねていた。が、安西は一つだけは思い当てていた。もしも、これ以上の無理難題な要求をしてきたなら、今度ばかりは決着をつけようと腹を括った。

 

会社に着いた安西は、机の上の書類に目だけ通して、気になる萩原調理長の微妙なニュアンスを、良彦と直接会って確認し、急いでハピネスへ出かけていった。

裏手にある、搬入口から調理場に入ると、確かにいつもと違う調理長が、事務机に座っていた。

「萩原調理長!おはようございます。今日はわざわざ、お電話いただいたようで?」

萩原は、振り向いて確認するだけで、無表情に立ち上がり、裏口を指差して先に歩いていった。安西もその後を追って調理場の外に出た。

萩原は、昨日得た情報を、ぎこちなく断片的に話した。安西はそれを整理しながら聞いた結果、肝心な詳細はまだ分かっていないということ。ただし、それはハピネスの問題だけではなく、自分の問題でもあることを、自覚しなければならなかった。

「分かりました。私も内密に情報を集めてみます!また何か詳しいことが分かりましたら、連絡いただけますでしょうか?」

「・・・よろしく・・」

今は、いち早く正しい情報が必要だと思い、急いで会社に引き返して行った。

 

ちょうどその頃、ハピネスの応接室では、常務と典子が頭を抱えていた。昨日の夕方、保健所に行ってきた武志だったが、ほとんど何の情報も得られず、空振りに終わっていた。何を聞いても、「分かり次第連絡します」「今はまだ詳細が出ていません」と、極めてガードが固かった。

 

実は、前年の二〇〇八年は、おそらく日本の食品衛生の歴史に残る年ともなる、食品事件・事故がたて続けに起きていた。

一月には、中国冷凍ギョーザによる中毒事件。四月には、ペットボトルに入ったお茶から、除草剤グリホサートが検出されるという事件が起きていた。また、中国では、メラミンが混入したと見られる、粉ミルクによる乳児の死亡事故や冷凍インゲンからジクロルボスが検出されるなど、食に対する関心が今までに無く高まっていた。否、それ以上に消費者を不安に陥れた。

更に遡れば、二〇〇七年には、マスコミを大いに賑わした、牛肉ミンチの品質表示偽装事件も起きていた。北海道苫小牧市に本社があった、ミートホープ株式会社が、牛肉100%の挽肉の中に豚肉、鶏肉、パンの切れ端などの異物を混入させて水増しを図ったほか、色味を調整するために血液を混ぜたり、うまみ調味料を混ぜるといった事件。いわゆる、ミートホープ事件が世間を騒がせた。

その他にも、様々な産地偽装などが、次々に明るみになり、それらを管理・監督する厚生労働省などへの風当たりは相当強かった時期でもあった。

その二〇〇八年(平成二十年)、厚生労働省の発表によれば、年間食中毒の総件数は千三百六十九件、二万四千三百三人にのぼり、内、四名が死亡。その千三百六十九件で原因が判明しているのは、八百二十六件。内訳は、細菌性・五百三十六、ウィルス性・二九〇。これを施設別で見れば、旅館や飲食店が約六割を占めている。

ここに、誰を責めるのでもなく、食品を扱う者全ての社会的責任とモラルが問われていることは間違いない。そしてそれは、経営以前の問題であり、経営の本質であり、また目的こそが根底で問われているのではないか?

 

何か迫り来るような不安が、二人の表情を一層強張らせていた。その応接室に内線が入った。昨日はお休みをとっていた、フロント・事務の小林由香は事情を全く知らず、普段と変わらない明るくかん高い声で、

「常務はいらっしゃいますか? お客様です。」

その無邪気さに、うな垂れながら、電話に出た典子は返事もしないまま切ってしまった。

「常務、お客さんです・・・」

そして、「来たな!」と覚悟を決めて、応接室を出て行った。そのフロント前のソファーには、男女二人が座って待っていた。

「お待たせしました。昨日は大変失礼いたしました。また、この度は、お騒がせいたしまして、本当に申し訳ございません」

武志は、名刺を差し出しながら、少し早口で挨拶をした。それに答えるように、二人は席を立ち、武志とは対照的に静かに落ち着いた物腰で、軽く会釈しながら名刺を渡された。

「太田と申します」「坂口と申します」

一人は、太田 彰・衛生検査技師。もう一人は、坂口京子・保健師。二人は、世間話など一切無用とばかりに、厳しい表情で、今現在の状況を説明しだした。

 

それによると、仙台市内はもとより、宮城県内のほか確認されているだけで、五都道府県に亘って、同一の症状を訴える患者が居るという。その数、三十人を越えているというのだ。更に、入院して治療を受けている患者だけでも二十人以上。そして、極めて重い症状、いわゆる重症患者も十人近い数であると。尚且つ、それに止まらず、その数はまだ確定したものではないとも言う。

話の途中で、どうしても気になって仕方なかった典子が、挨拶をすることもなく、頭を下げながら、武志の隣に座って聞いていた。二人は、その説明を聞いて顔を見合わせ固まってしまった。

正直、武志は高を括っていた。それは正美と同様に、こんな商売を長くしていれば、食中毒の一度や二度は経験するもの。なにより、今までなかったことが不思議なくらいだと思っていた。だが、そうは言ってもと、念のため地元の有力者に内々で事情を説明し、事何かあればよろしく!と、既に裏から手を回していた。

それにしても、事が予想以上に大きいことを自覚させられる内容に、唖然として言葉を失った。隣に座っていた典子に至っては、あまりのショックで、誰を憚ることなく泣き崩れてしまった。

太田と坂口は、その様子を見やりながらも冷静に、常務の武志を見て、

「これから申し上げる資料の提出をお願いします」

それは、二人の動揺も感情も無視した言い方に聞こえた。これには、今日まで営業の最前線で、いくつもの修羅場を潜り抜けてきた武志も、力なくその指示に従った。また、この様子をフロントに隠れるように見ていた小林由香は、お茶もコーヒーも出すことを躊躇してとうとう出せずじまいだった。

それから三十分ほど経って、山積みの資料を確認し、持って来た紙袋に入れ、保健所の二人は、「また、改めて連絡いたします」

そう言って、帰って行った。

 

典子はソファーに座り込んだまま。武志は、ロビー玄関口で立ち尽くしている。その館内には、結婚式場らしい楽しげなBGMが流れていた。

武志は腕時計で十二時十分前であることを確認し、思いついたように携帯を手に、そのまま玄関を出て行った。

昨日の夜、地元選出の市議会議員・安田耕三に電話をしていた武志は、改めて、事の次第を伝えようとしていた。

 

安田耕三は武志の同級生で、その武志は後援会の会長をしていた。安田は市議会議員としては四期目で、現在は市議会議長を務め、次期、県議会議員に立候補することを予定していた。

武志は、事の次第と大きさを伝えると共に、急いでの手回しを懇願した。それを聞いた安田は、幼なじみで同級生、そして、長い間支えてくれている後援会長の依頼とあって、二つ返事で動いた。

安田は先ず、関係者から慎重に情報を集めるよう秘書に指示を出した。そして、自らは、市内の新聞社とテレビ局に連絡を入れた。

最初に、東北新報の野沢鉄夫社長に直接コンタクトを取った。彼は地域の有力者の一人で、何度か食事をしたり、ゴルフも一緒したことがあった。運良く社長につながり、早速、事の次第を告げ、

「よろしく頼みたい!」

とだけ言った。すると、

「事情はよく分かりました! ただ、私は何も聞かなかったことにしておきましょう」

分かりやすく含みを持たせた言い方をした。が、それは安田には伝わっていなかった。

「どういうことかね? 何とかしてもらえるんだね!」

「ですから・・・」

事情を察し、その意味も理解した上で尚、

「お互い、傷つかないようにした方がよろしいかと・・?」

ここでようやく、大人の会話に気付いた安田は、

「忙しいところ時間を取らせて済まなかった!」

と言って、電話を切った。

安田は、執務室の席を立って、窓の外に広がる青空を仰ぎ見ながら、今度は、テレビ仙台の宇野健一社長に電話をした。

宇野は、安田の遠い親戚で、これまでも何かとお世話になっていた。仕事柄、表立っては出来ないことであっても、様々な便宜を図ってくれてもいた。その宇野には、単刀直入に頼んでみた。すると、

「こちらから連絡しようと思っていたところなんです!」

「と、言うと?」

「報道局から、たった今連絡があったばかりで・・・」

宇野は、局内に情報が広がっていることを知り、下手なことは出来ないと、半ば諦めている印象だった。

「そこを、何とか頼めないか?・・・ハピネスの竹岡社長は、あなたも知っているよな?」

宇野は、「出来るだけのことはする」と、約束はしてくれたが、安田は期待できない状況であることを、察するしかなかった。何より、仙台のマスコミュニケーション事情から言えば、全国の有力紙各社が全て揃っている。また、それはテレビ局についても同じだった。唯一、地元有力どころだけでもと考え、手を尽くしてはみたが、その事の大きさとスピードは、驚くほかなかった。

安田は、もう一本電話をかけていた。電話の相手は、安田が若い頃、秘書を務めていた、国会議員の梅沢一郎だった。しばらくして、折り返し電話が来た。

「先生、お久しぶりです!お世話になりっぱなしで、恐縮しています」

「安田君か、秘書の影山から事情は聞いたよ・・・結論だけ言おう!君はもうこれ以上係わるな。ここは、先方の依頼を聞くだけにしておきなさい」

三十年近く国会議員をしている梅沢の、その一言の迫力だけが伝わってきた。だが、了承しかねていた安田が、

「ですが、先生っ」

「冷静に事を見分けられなければ、身を滅ぼすぞ!」

そう冷厳に言い放ち、電話は切られた。安田は、力が抜けたように椅子にドッカと座り、竹岡の顔を思い浮かべていた。

結局、権力は、道理には歯が立たないのだ。それよりも何よりも、権力は、自分のためのもので、それ以外は一切役に立たない。

 

午後一時を回った頃、仙台駅には正美が着いていた。正美は急いで車を飛ばし、ハピネスの玄関前に横付けにし、そのまま事務室へ急いだ。最近では、オシャレに目覚め、何時でも、かっこよく着こなしていたスーツも、この日は、らしくない着崩した格好で飛び込んできた。

典子叔母さんには、冷静を装って「大丈夫ですよ!」とは言ったものの、新幹線での移動中に、急に大きな不安に襲われていた。

事務室に入ると、常務の武志と典子が正美を確認すると同時に、無言のまま首で合図をして、応接室に入っていった。そこで、改めて、これまでの経緯と今現在の状況、そして、武志がとった対応策を話した。

それを聞いた正美は、頭を抱え、掻き毟りながら、

「俺もっ 」

といって、市役所に勤める友人に電話をした。そして、探りを入れるように話してみたが、どうもまだ、情報が入っていないようだった。正美は、あえてこちらから、情報を流すことまでは出来ずに切った。

この時、常務の武志も、専務の正美にしても、考えていたことは、経営へのダメージだった。それだけだった。それしか考えられなかった。それでなくとも右肩下がりの業績で、先行きの不安がその他の一切を盲目にしていた。

 

人間は、重大なアクシデントや事件に直面した時、過去の経験だけを頼りに、しかも、その根本がエゴであったり、保身である場合、どこまでも迷い、悩み、苦しめられるものだ。本来であれば、直ちにお客様に連絡をいれ、どんなに不確かな情報であっても、それを伝え、お詫びを申し上げるところであるはずなのだが。二日目になるこの時点でまだ、もっとも大事なことに考えが及ばない。それどころか、情報操作や隠ぺいに、奔走しているといった有様だ。そこには、会社法人は社会の公器であるなど考えにもない。極論ではあるが、このような会社は、社会における存在悪といっても過言ではないであろう。

ブライダルステージ・ハピネスは、四十年以上に亘って、時代と共に生き、時代に育てられ、そして今、時代の中に飲み込まれようとしていた。それは、自分だけのため、会社の発展だけを考え、確たる哲学も信念も、まして地域社会から認められるような理念も無いままに経営してきた真実の姿が、白日の下にさらされ様としていた。

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