ブログ

運命の星(八)

運命の星(八)

安西は会社事務所の自分のデスクにいた。

安西物産は、ハピネスからは少し離れた、仙台の東、仙台港の近くにあった。敷地面積五百坪ほどの中に、大きな食品倉庫を構え、併設されるように事務所の建物があった。この日は全て出払っていたが、配達用の小型の保冷車を十数台所有していた。

事務室は、商品のカタログや伝票類が所狭しと積まれてあった。その陰に隠れるように社長のデスクがある。安西は、自らここ一ヶ月のハピネスへの納品伝票を確認していた。情報が欲しいと思いながらも、どう動いてよいか分からず、ただ伝票を捲っては、また始めから捲り返すを続けていた。

すると、何かに気がついたようにその手を止め、伝票の束を平手打ちにドンと叩いて、事務所の外に出て行った。その手には携帯電話。そして、今朝まで一緒だった大隈に電話をした。

「大隈か?俺っ、安西!」

「おうっ、どうし・・・」

「大隈、ちょっと相談に乗ってくれないか?どこかで会えないか?今、時間大丈夫か?忙しいところ申し訳ない!」

「なんだか、めちゃくちゃだな! まったく、ずいぶん忙しないこと。俺は大丈夫だ! どこでもいいぞ」

「じゃぁ、これからそっちに行ってもいいか?」

 

大隈の大英食品は、安西物産から車で五分ほどの所にあった。道路を挟んで、片方は東北全体の物流拠点として、安西物産とほぼ同じサイズの倉庫が、五棟綺麗に並んであった。そこには、三台の大型トラックが荷の積み下ろしをしていた。一方、反対側には、五階建ての立派な本社ビルが建っている。その最上階にある社長室に二人はいた。

安西から話を聞いた大隈は、タバコに火をつけ吸い込んだ煙を、勢いよく天井に向かって吐き出すと、

「わかった! 俺は俺なりの考えはあるけれど、これはアンビシャスにアドバイスしてもらおう!」

安西は、そうかと思い出したように手を打ちながら、すぐさま携帯に手をやった。

「そうだった!そうだよな!」

「ところで、安西の担当は誰だっけ?」

「矢神さん。矢神カウンセラー」

そう言いながら、もう繋がっていた。

 

株式会社アンビシャスは、一般認識としては経営コンサルタントであったが、それを決してコンサルタントとは言わず、カンセリングと呼び、カウンセラーといっていた。そこには、何か強い“こだわり”を持っていることが、感じられた。もう一つの特徴は、決して専門業種に偏っているわけでもなく、特別なノウハウを商品にしているのでもない。しかも、トップリーダーを限定対象としたカウンセリング契約なのだ。初めは戸惑いもあったが、次第にそのメッセージの深遠さに驚きながら、カウンセリングを受けていくと、なぜか自分自身が楽になれた。なにより、素直な自分になれることを実感していた。

その矢神だが、年齢は安西よりちょうど一回り上の、いわゆるベテラン・カウンセラーだった。その彼は、長年にわたり、調理の世界に身を置き、大きなホテルの総料理長までしていた。が、二十年程前にアンビシャスに転身していたのだった。

 

「矢神さんですか?安西物産の安西です。先月はありがとうございました」

そう簡単に挨拶を済ませ、早速、現時点で分かる範囲の全てを話した。とはいっても、この段階では、病院からの通報で保健所が動き出し、連絡があったこと、そして、そこから予想されることとして、何人かの患者の存在という極限られた情報だけだった。

が、間髪入れず帰ってきた答えは、

『お客様第一』『絶対に嘘はつくな!』『誠実な対応を!』

という極めてシンプルなものだった。そして、『また具体的な動きがあったら連絡するように』と言われ、後は何も無かった。

安西は、内心大きな期待をしていた。何か効果的な秘策でもあるのではないかと・・・。だが、そうではなかった!でも、それは期待はずれとも思わなかった。この明快なアドバイスで、安西には大きな気付きがあったのだ。それは、保健所の対策や、納品先のハピネスに対する対応だけを考え、思いあぐねていた。そしてそれは、一番大事な、お客様の存在を見失っていたことだった。無意識のうちに保身に走り、対策というテクニックを探し、事態から身をかわそうとしていたことを・・・。

 

安西をジッと見つめながら、そのやり取りを聞いていた大隈は、

「どうした?何って言われた?どんなアドバイスだった?」

大隈は自分の事のように真剣だった。それはそうだ、同業者であり、“明日は我が身”として、この機会に聞いておきたかった。

「いやっ・・えっと・・」

安西は、内容を言いたくないわけでも、隠そうとしたわけでもないが、あまりにシンプルすぎて、どう伝えたら良いか、一瞬迷ったのだ。

「先ずはお客様・・・自分のことより、中毒で苦しんでいるお客様・・・」

その一言を聞いて、大隈もハッ!とした。大隈も安西と同様に、特効薬的な解決策でもあるのか? それ以上に、事無きように、この事件を避けられる秘策でもあればと考えていた。

確かにそれは、まったく身勝手すぎる考えである。悲しいかな、いざとなれば皆誰でも、自分自身が一番大事で、その身を案じてしまう。これこそ、無防備な人間の正直な性か?

安西は、受けたアドバイスを忘れないように、手帳に書きとめた。それを盗み見るように、大隅もまた、手帳を開き書き写していた。書き終わると早速、この『お客様第一』『嘘はつくな』『誠実な対応』について、本気で話し合った。それには時間を忘れて、具体的実践行動をひねり出そうと、意見を戦わせた。そして、出した一つの答えとして、安西は動き出した。

 

大隈と別れたのは、午後三時過ぎ。安西は、保健所に来ていた。ハピネスから食中毒の件を聞かされ、その大半の食材を収めている者として、どんなことでも事態解明のために協力したい旨を、訴えるように話した。

まったく以外だったのは、保健所の方だった。強制的に調べる事はあっても、自ら協力を願い出ることは、ほとんど前例が無い。それでも、安西の真剣な物言いと眼差しに、

「分かりました!ありがとうございます。」

といって、商品サンプルを含め、仕入先その他の情報を求められた。

「ところで、お客さんの症状はどんな具合でしょうか?」

恐る恐る聞いてみた。すると、安西の積極的で誠実な姿勢を感じてか、現時点で分かっている詳細な情報を教えてくれた。

そのあまりにショッキングな内容に、安西は驚きを隠さなかった。それは、重症とされていた方の中から、更に悪化して重体に陥ってしまった患者もいるというものだ。

『お客様第一』安西は、矢神からのアドバイスを呪文のように唱えていた。そして、思わず・・・

「私に出来ることは何でしょうか?その苦しんでいる方のために・・・」

声を上ずらせ、両手を胸の前で合わせながら言った。

「私たちとしては、病院と連携して原因の特定を急いでいます。ですから今は・・・」

対応の所員は、安西の言葉に嘘がないことを感じ取り・・実は、と言って事態の大きさから警察が動き出していることを教えてくれたのだ。だから、今のところは、その行方を見守ることしか出来ないとも。

 

この日の夕方六時。武志の情報操作も虚しく、ローカルニュースのトップで食中毒事件として報じられた。そのマスコミ発表では、

『三月二十七日、仙台市内にある、結婚式場ブライダルステージ・ハピネスで行われた結婚披露宴の出席者の中から、約八十人が食中毒と見られる症状を訴えている。分かっているだけで五都県の各病院で治療を受け、その内、一人は意識不明の重体で、今現在も懸命な処置が施されている。さらに、約三十人の症状は比較的軽いものの、今も入院中で、その他は既に回復しているか、自宅で大事を取っている。尚。現在確認されている原因は細菌性のもので、ボツリヌス菌ではないかとして、その特定を急いでいる。これに対して、宮城県警は事態を重く見て、近く捜査に踏み切る予定である』

このニュースは、夜九時以降の全国ネットで各テレビ局が挙って放送した。

 

間違いなく、マスコミ報道が有ると思っていた安西と大隈の二人は、大隈の社長室で、このニュースを見ていた。

「起きてしまったものはしょうがない。問題は、その後の対応だよな!?」

大隈は、つくづくアンビシャスに確認して良かったと思った。

「そうだなっ、ところで、ハピネスはどうしてるかな?」

安西は、竹岡社長がヨーロッパに行っていることを知っていた。その留守中に起きた事件を、社長は知っているのだろうか?と思うと、心が痛かった。そんな大恩人の社長の顔を思い浮かべて、

「皮肉だよな!何十年も一生懸命に苦労して頑張って来て、これかよ・・」

これは、食中毒の問題ではない。もっと根本的なところにあるのではないかと、安西はテーブルを軽く叩いた。

「本当っそうだよな!  何年・一生懸命・苦労・頑張り。それが必ずしも報われるとは限らないのかもなっ?」そして、

「俺っ、アンビシャスと出会って三年になるけど、何度も何度も、喧しいくらい聞かされたことがあるんだよ!・・・目的は?何のために?何故?ってな!」

そう言って、安西を見つめていると、

「俺は、まだ一年ぐらいだけど、それと同じ事を、矢神さんから言われたことがあるよ。 “社長は何のために経営をなさってるんですか?”ってね。その時は、この人なに言ってるんだ!そんなの決まってるだろう、商売は金儲けだよ!その他に何があるんだと? 俺、そもそも、そういう理屈っぽいの嫌いだからよ、聞くだけは聞いたけど、正しい経営哲学とか目的が、どう売上と繋がるのか、どうしても分かんなくて・・。でもなぁ~ 」

そう感慨深く話す安西に食いつくように、

「そこなんだよ!売上の問題じゃないんだ・・きっと。 売上は確かに大事さっ、だから、そのために努力や工夫をするのは当たり前。会社として存在する限り、利益を上げ、スタッフに還元し、納税という形で地域社会に還元・貢献する。これも常識的なことだろう!ただ、それが何のためなのか?という根本を言っているのかなと、最近少し分かるような気がしてるんだ!」

安西はまた手帳を取り出し、メモを書き始めていた。

「皆頑張って、皆努力もして、皆それなりに苦労もしている! でも、結果には違いがでる。結局、した苦労が、努力が、報われるか報われないかという、一番大事なことなのかもなっ?」

その手帳には、一ページ全部を使って“報”とだけ書いていた。こうして、二人の懇談は、夕食も摂らずに、夜遅くまだ続いた。

 

その頃、ハピネスでは、常務の武志が、体調が優れず休んでいた女将に代わって、ようやく社長に連絡を取ろうと、ヨーロッパにいる武夫に連絡を入れた。明日帰宅予定ということもあり、事を大げさにせず、簡単な報告で済ませ、帰ってきてから、ゆっくり話すことにした。それはせめてもの気遣いだった。

また、ニュースを見た正美の動揺は大きく、すぐさま契約している保険会社に連絡を入れ、一分でも早く会社に来るように、一方的に言いつけていた。そして、この日遅くまで、保険会社の担当者をつかまえて、補償問題を検討していた。さらに典子は、ショックのあまり情緒不安定になり、それを見かねた武志が、少し休むようにと、自宅に帰していた。

一方、どこからともなく情報を聞きつけたスタッフにも、その動揺は広がっていた。責任の所在で言えば、その責任者の一人として免れられない調理長の萩原は、同じ調理師仲間と連絡を取り合い、次の職場まで紹介してもらっていた。そして、辞表を書いて用意している。

支配人の斉藤は、まるで人ごとのように、『これは後が大変だぞ!』と、予約台帳を開いては、まるで競馬でもするように、一人今後の予測を立てていた。

唯一、営業部長の荒木大輔は、営業主任以下四名と、終業間際で、まだ社内に残って居たプランナー六名を全員集めて、お客様の具体的対応を打ち合わせていた。土・日で行われた、十二組のご両家二十四軒に加え、この春と秋に予約を頂いているお客様。それぞれの担当者は、とにかく連絡を取り、そして、一軒一軒のお宅に伺って、お詫びを申し上げなければと、二人ずつコンビを組んで出かけようとしていた。

すると、そのミーティングに、

「皆よく聞いてくれ! テレビのニュース等で大体の状況は分かったと思うけれど、今は勝手な動きは控えて欲しい。」

常務の武志が、突然入り込んできて厳しい表情のまま言った。が、その彼の口から事態の説明は一切なかった。

「ちょっと待ってください。」

荒木は、入社十年になる中堅幹部の一人だった。営業部長としての営業成績以上に、その人柄は多くのスタッフから信望を集める存在だった。その彼が、珍しく声を大にして、

「たった今、日曜日に担当したお客様から、直接連絡を頂きました。“かえって大事(おおごと)になってしまって申し訳なかったね”とまで言って下さってるんです。申し訳ないのは、こっちの方です。大体、私たちがテレビのニュースで初めて知ったなんて、おかしいですよ!」

直接のこの電話で、多くの中毒患者を出したのは、荒木の担当するお客様であり、担当披露宴であることが分かった。

「色々事情があってなっ。とにかく今は、指示があるまで動かないでくれ!分かったねっ・・。」

「いえっ、お言葉ですが、納得できません。どんな事情があるか、私には分かりませんが、今はなにより、お客さんのところに行っ・・・」

言い終わらないうちに、

「分かったようなことを言うな!」

一段と形相を険しくして、

「もうじき弁護士が来る手はずになっている。事はその後だ!勝手なことは許さないぞ!」

そう言って、武志は荒木の口をふさいでしまった。

荒木には、どうしても理解できなかった。何をそんなに心配しているのか?不安なのは今週末に控えているお客様ではないのか?・・・何をそこまで怖がっているのか?今後どうなるんだと困惑しているのも、予約をしてくださっているお客様のはず・・・。会社にどんな事情があるにせよ、今、現実にご迷惑をかけてしまったお客様が大勢いるのだ。なによりも、症状重く苦しんでいる方々を、どう考えているのか?

常務が去った後のミーティングは、長い沈黙が続いた。皆やりきれない思いを言葉にすることすら出来ないでいた。

荒木の目は赤く潤んで見えた。ニュースを見たお客さんの方から心配して電話をくれ、その上、かえって申し訳なかったね!と、そこまで言ってくれているのに・・・。そう考えると、居てもたってもいられなくなった。そして、

「引き止めて申し訳なかった! 今日はもう帰ってくれ!お疲れっ」

そう言い終わらないうちに立ち上がり、営業鞄を勢いよく持ち、飛び出していった。それは、お客様のところに行ったのだということは、スタッフの誰もが分かっていた。そして、当然だとも思った。一生にたった一度の結婚式。何ヶ月も前から打ち合わせを重ね、ご両家との関係は、単なる担当者の域を出ている。それは、親族・身内・友人同然だ。もし自分が担当者であってもきっとそうすると、荒木の心情を察していた。それから一時間以上、誰も帰ろうとはしなかった。

「でも“会社の方針がそうであればしかたがないわね!”」

チーフプランナーの藤田洋子が重い口を開いた。その一言に皆、渋々気が抜けたように帰ろうとした。その時、フロントの電話が鳴り出した。それも、一本・二本ではない。三本・四本と申し合わせたように。フロントに居た小林一人では、とても間に合わず、ブライダル・プランナーの高橋美智子と上野真由美が電話に出ると、それは今週末に予約をしているお客様からだった。さらに、現在予約を頂いている、百組以上のお客様からの電話が、何時間も鳴り止まなかった。藤田チーフやその他のプランナーも事務室の電話を取って応対した。一人ひとりは、直立不動で受話器を持ちながら、何度も何度も頭を下げている。そうしながら、心から悔やんでいた。『こうなる前に・・・』と。そんな中、事務室に居た、支配人の斉藤だけは、電話に出ようともせず、その慌しい光景を見ながら、『ほらなっ!』と引切り無しに鳴り続ける電話機を見るだけで、相変わらず予約台帳をチェックしていた。

一方、会議室に閉じこもっていた常務の武志は、そんなことには全く気付かず、間もなく来た弁護士、それに保険会社と検討中の正美を、会議室に無理やり呼び付け、三人で状況の確認と対策を話し合った。この数時間に渡って打ち合わされた内容はどこまでも、会社の防衛策であり、お客様不在の自己保身の為のものでしかなかった。まったくもって残念としか言いようがない。ここに、人間、何を『思い』何を『考え』事態をどう『捉える』かによって、単純な優先順位すら分からなくなってしまう。これを愚かとも言うのだろう。

長年の経験と、それなりの責任感、そして限られた知識の範囲だけで行動した結果がこれである。なによりも、それが多くの人間を巻き込んで不幸にしてしまう。まさしく、ここ数年の間に起きている食品関連事件の本質的問題も、この一点にあるのではないか?

次頁:運命の星(九)