親子のわだかまりを乗り越えた家族経営の会社事例―アンリミ経営カウンセリング体験談

こちらは、弊社経営セミナーで今回登場する会社の後継者である息子さん(現在の社長)が語っていただいた体験談です。
父が立ち上げた会社を継いで、印刷業を営んでおります。当社は創業四十年になる家族経営の会社です。これまで、会社経営とは何なのかもわからないまま、家業である印刷業の仕事にあたっていました。今考えれば当然ですが、以前は、社員が一斉に退職してしまったり、仕事の失敗や新人の教育もままならない状態が続いていました。次第に父との関係性も悪化して、こじれていってしまいました。そんな時、取引先のホテルからの紹介でアンリミと出会って、経営についての相談をさせていただくようになりました。アンリミテッドのカウンセラーからは、「毎週1回、お父さんと会話をしてください」とのアドバイスをもらいました。至極当たり前で何の目新しさもない内容だと正直受け取っていました。その時は、そのカウンセリングの真意はまだ私には分かりませんでした。
急遽担った経営者の立場
印刷業は激しい変遷に見舞われています。活版印刷からオフセット印刷、写植印刷、手動から自動へ。そしてパソコンが職場にも家庭にも普及し、年賀状も家庭用プリンターで十分まかなえる時代になっていきました。物心つく前から、インキの缶や紙をおもちゃに育ちましたから、おのずと「将来はこの仕事をしていく」ものと意識していました。競争して社長になったのでも、経営手腕があってなったのでもありません。それだからこそ、悩むこともありますし、辛いこともあります。高校卒業のとき、修業のためにと就職を決め、東京に行こうとした矢先に、父が心筋梗塞で倒れました。その後、東京行きは急遽取り止め、免許を取ったばかりの私が、母を乗せて朝の暗いうちに印刷したばかりのチラシを配達所へ届け、日中は集金、夜は急ぎの印刷物を納品にと走りまわりました。父の病状は不安定な状態が続きました。そんな父と弱気になりがちな母を置いて、私一人、東京に出て行くことはできませんでした。
そんな事情もあり、若いうちに世間の風を知ることもできなかったので、経営に必要なものを、何とか身につけたいと願っていました。父からもきちんと教えてもらうことができないまま、困難なことが起きるたび不安を覚えていました。
体に不安が残る父は、仕事から徐々に身を引き、私が工場のなかを見るようになりました。そんな矢先、職人四人が一斉に退職してしまいました。製版、印刷ともパートさんを除いて、みんな辞めてしまったのですから大変でした。その時は家族総出で頑張りました。外注先に仕事を振り、急ぎ、採用した新人に仕事を教える時間もなく失敗は多発。仕事がどんどん滞るなか、二年くらいの間に五、六人が、入っては辞めるというくり返しに新規営業もままならず、売上は下がる一方でした。
そんな時、体調もだいぶ回復してきていた父から借入れやその返済の状況を知らされました。「会社をどうするつもりだ?やめてもいいんだぞ・・・」などと言われました。しかし、そう心配する父に対しても、当時の私は素直な気持ちになれず、感情的にこじれていきました。
経営よりも親子関係の修復が先
父と子、何でも話し合えるようですが、言われたことを素直に受け取ることが、なぜかできませんでした。期待が大きいのか、理解困難なことも話されるし、私が現実に困っていることに対して、今さらに突っ込まれるのが辛くて、嫌な気分にもなりました。互いに、親子なんだから、そんな気持ちはわかる〝だろう〟と思って、
「何でこんなこともできないんだ?」
「うるさいなぁ」
となれば、不必要な感情も生じてきます。
工場の現実問題は、未解決で時は過ぎていき、ますます落ち込んでしまいました。そんな時、アンリミテッドを紹介されました。当社の規模からは、厳しい契約料でしたが、このままでは倒産するばかりと開き直って契約しました。しばらくは経営の原則を学び、経営の実態をありのまま見てもらいました。そして、カウンセラーの方から、当社は、人員、営業力は問題だが、もっと大きな問題があると言われました。それは、父との感情的な対立でした。
父との関係性は、長い間こじれていたので、会話が成り立たなくなっていたのです。その時、アンリミテッドのカウンセラーの方から「毎週一回、必ず、じっくりとお父さんの話を聴きなさい」と指導されました。しかし、何を話していいのか、皆目見当がつきませんでした。それで、最初のうちは、会社の状況報告だけでもしなくてはと、話をしに行くのですが、普通なら10分もあれば済む話が、最初は半日もかかってしまいました。父の顔色ばかりが気になり会話にならず、じっと二人で座ったままでいたことを思い出します。
私のほうが改めるべきことだと実感してはいましたが、そのときはただ困っていました。しかし、アンリミの指導は「それでも行きなさい」というものでした。それが後押しとなって続けることができました。そして、少しずつ会話もできるようになり、会社の状態の報告をする私に、父も「そうか、それで?」などと言葉を返し始めてくれました。
後になって分かること
それからしばらくすると、報告は10分、長くて20分ほどで終わるようになり、後は父が会社に対する思いや自分自身のことを話してくれるまでになりました。それと同時に、不思議と社内の団結も生まれてきたように思います。
その後、半年くらいで父は急逝しました。その半年間は、今の私にとって貴重な時間となりました。
アンリミテッドの指導に「後になって良かったと実感できる、挑む楽しさ」とあります。これからは、内面にもっと幅を持って、社員とお客様に貢献できるよう、工夫と努力を重ねていきます。
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