運命の星(十)

秋分の日を過ぎた二十五日。安西と大隈は仙台市郊外にあるゴルフ場に居た。
経済が低迷する昨今では、めっきり少なくなっていた取引銀行主催の、コンペに参加していたのだ。銀行主催と言うこともあって、コンペ参加者の殆どが経営に携わる方々ばかり。当然、何らかの係わりがあり、顔見知りでもある。それでも、この日は二人とも、久しぶりに清々しい緑の中でリフレッシュしていた。
“日頃の行い”か?どうかは別にして、秋を感じさせる爽やかな気温に加え、誰が言ったか「天高く馬肥ゆる秋」で、どこまでも澄み切った青空は、高く晴れ渡っていた。それだけで充分だった。
ハーフラウンドを終え、昼食の時間。同じパーティーのメンバーと四人でテーブルを囲み談笑していた。そこに、どこからともなく携帯電話のマナーモードのバイブ音が聞こえてきた。すると四人が一斉に自分の携帯電話を探していた。犯人は大隅だった。
「ちょっと失礼!」
そういって席を立った。
携帯電話は二〇〇〇年代に、個人的なコミュニケーションツールとして、地位を獲得している。それも日本特有の多機能化したもので、携帯依存なる社会現象まで生んだ。そして今や、インターネット依存症やネット中毒といった、まったく新しい病をつくってしまっている。ただし、それらは医学的な裏付けは無視され、その定義においては実に曖昧かつ個人的感覚や主観に追うところが大きい。それでも現実は、四人が四人ともゴルフであろうが、片時も離さず持ち歩いている。これを常識とすれば何の不思議もないが、一昔前では、到底考えられないことであり、奇妙ですらある。
それからしばらくして、オーダーした料理が四人分同時に運ばれてきた。が、大隈が居ない事を気にかけて、誰も箸をつけようとしない。安西は、大隈と仲良く秋の味覚「きのこ蕎麦セット」を注文していた。
「申し訳ない!今来ると思いますので、先にいただきましょう」
他の二人にそう勧めながら、せっかくの蕎麦が・・・と、大隈の丼を覗き込んでいた。それにしても遅い。もう食事が終わってしまう。すると、大隈の声が小さく聞こえてきた。そして、次第に大きくなって近付いてくる。「んっ、戻ってきたな!何やってたんだ?」と思いながら、その声の方を見ると険しい表情で、携帯電話が壊れるほどの勢いで折りたたむ大隈がいた。
「遅いっ!もう皆終わっちゃうぞ!」
「大変失礼しました!」
どう見ても、伸び伸びのお蕎麦を、無表情で食べている大隈を見て、安西は気になった。午前中のラウンドでの好プレーや珍プレイ話にも、一切乗ってこない。その上、半分以上残して箸を置いてしまった。
「おいっ、大丈夫か?食欲無いみたいだけど?」
「いやいや、時間が経って冷めてしまったし、不味かったんでしょう!?」
同伴のメンバーが、大隈の代わりに答えてくれた。
「そろそろ時間だ、後半もよろしく!」
そう言って、いち早くレストランを出て行ってしまった大隈を、三人はただ見送るだけだった。その後、後半のティーグラウンドに着いて見ると、また大隈の姿が見えない。安西は「やっぱり何かあったんだな?」と心配しながら、クラブハウスに戻ろうとすると、電話をしながら小走りに向かってくる大隈を見つけた。
「おいおい、どうかした?何かあったのか?大丈夫なのか?」
矢継ぎ早に聞いて見ると、
「いや大丈夫!後で・・・」
どう見ても様子がおかしい。午前中とは別人のようだ。それはスコアーにも正直に現れた。この安西たちのパーティーは、最終組ということもあって、終了後直ちに、表彰式が行われる市内のホテルに直行した。
会場では、主催者の挨拶の後に、結果発表が行われていたが、安西と大隈の二人は、同じテーブルに並んで座り、会場の雰囲気とは対照的に、深刻に話し込んでいた。
「安西よぅっ、社長って何なんだ?会社って何なんだ?組織って・・・」
何かあったことだけは察しが付いていた安西だが、意外な質問に驚いた。ビールを自分で注ぎ、うつむきながら聞いてくる大隈は、どことなく寂しげだった。
「突然どうしたんだ?何があったか聞かせてくれよ!」
もう既に、一本飲み干していた大隈に、新しいビールを注ぎながら聞いた。大隈は、そのビールを一気飲みして、
「実は、専務と、どうしても意見が合わなくてなっ!とにかく、最近では、いちいち衝突してしまうんだよ!まったく恥ずかしいことだけどよぅっ」
パーティー会場の中にあって、ここだけは完全に二人の世界になっていた。時々、知り合いがお酒を注ぎに来るが、それを素っ気なくあしらいながら話し込んでいた。
大隈は、三人兄弟の長男で、直ぐ下には東京に嫁いでいる妹と、七歳離れた弟の佑二がいた。その佑二もまた真一同様に、大学卒業と同時に、大英食品に入社していた。そして昨年、真一が社長に就任すると佑二は専務に就いたのだった。
この頃には、二人の価値観や仕事観の違いが業務上において、時々様々な障害を生んでいた。また、このことは、大隅が専務の時代からの、大きな悩みの種であった。そして、アンビシャスに学び始めた動機の一つでもあったのだった。
「身内は本当に厄介だよ!俺も実感してるよ!」
安西の実感値には二つあった。一つは、サラリーマン時代に、勤めていた会社が典型的なファミリー企業であったこと。もう一つは、今現在、叔父で副社長の良彦との関係性であった。だから、大隈の思いが分かる気がした。
「俺も弟も、よその会社を知らない!今になって思えば、これも問題だよな?会社じゃ社長で専務。でも、いったん会社を離れれば仲の良い兄弟。どっちも事実で、それが難しくしてしまうんだよな!」
「確かに・・・嫌でも兄弟感情が入り込んでしまう・・か?」
安西は良彦との関係に重ね合わせるように聞いていた。そして、親族の問題として共通していることを確かめていた。
「会社は会社、兄弟は兄弟、そう思うようには行かないもんだな!実際、兄弟の問題では済まなくなっているんだ。」
今日はどんどんビールがなくなる。二本目のビールも、いつの間にか空になっている。安西はそれを見て、隣のテーブルから盗んでくるように、冷えたビールを持ってきて注いでやった。「今日は飲んじゃえ!」そんな親友を労わる思いで、オードブルの料理も取ってやった。
「ところで、社長って何なんだ・・・? 俺は社長だよ、だからって独裁的に何でも好き勝手にやりたいって事じゃないんだけどなっ。」
「俺だって社長だけど・・・社長ねぇー 本気で考えたことないよ!」
「アンビシャスの有島さんに言わせれば、“社長と言うのは権力者ではない”とか、“社長と言う名の社員なんだ”とか、“社員や部下がいるお陰で社長でいられるんだ”とか・・・俺には、まだよく分からない」
また一気飲み干して、「お前はどう思う?」といった視線を感じた安西は、
「俺も先月のカウンセリングで、矢神さんから言われたことがあるんだよ。“社長と言う権力は使わないほうが良い”ってね!」
意味も分からず、大隈に誘われるように思い出した、矢神カウンセラーの指導をそのまま話した。
「有島さんは、こうも言っていたな “社長と言うのは、あなたの仮の姿なんだよ”ってね! 一つひとつ訳が分かんない事を言うよな?まったくっ・・」
その話を聞きながら安西は、大隈以上に真剣に考えていた。すると。大隈真一の名前が呼ばれた。順位発表で、彼は参加者一二〇人中、第四五位だった。この呼び出しで、一息入れる形となり、二人は空腹に気が付いたように、料理を食べ始めた。そして、間もなく第三七位で安西雄一が呼ばれ、景品の缶ビール一ケースを重そうに持って戻ってきた。さらに表彰は続き、優勝者が発表となり、程なく閉会になった。だが、話の途中であり、まだ飲み足りなかった二人は、近くの国分町にある、安西行き付けのバーへ出かけていった。
ここは、安西が一人で飲む時によく使っていて、静かで落ち着いたカウンターだけのバーだった。二十席ほどのカウンターの一番奥に二人は並んで座った。
「大隈っ、さっきの話だけど・・・」
ハイボールのグラスを軽く振りながら、自分自身の問題のように言った。
「結局、会社ってのは、人間が集まってるんだよな? それが、他人だろうが親族だろうが、まして親子であろうが何だろうが・・・関係ない。人数は別にして、そこにはリーダーとなる存在が必要になってくる。そう考えると、その中から、リーダーに一番相応しいと思われる人が、推挙されるのが望ましいんだろうな!」
ワイングラスを揺らしながら大隈は、安西の顔を斜に見て、
「俺は、推挙された人間ではないからな・・・」
「そうじゃなくて・・・俺だって、会社を興したのは自分だけど、選ばれたわけではないよ! 選挙じゃあるまいし・・・そうじゃなくてっ!」
安西は自分でも何を言いたいのか分からなくなっていた。それでも、大隈には何か感じるものがあった。そう言っている本人以上に、何となく分かるような気がしていた。
「分かってるよ!会社と社長の本質だろう? アンビシャスでは俺のほうが先輩なんだからなっ!」
何か吹っ切れたような笑顔を見せながら、大隈はワイングラスを安西に向けて乾杯を要求した。
「そうだな! そういう本物のリーダー不在の集まりは、組織とは言はないわな? あっはっはぁ~」
静かに飲んでいたお客さんを、驚かすような大声で笑いながら、
「ありがとう!今日、話してよかったよ!本当にありがとうなっ 安西」
その安西は、他のお客を気にしながら小声で、
「おいっ!大隈っ! だけど、さすがに先輩は、飲み込みが早いな~」
今度は、安西の方が消化不良になってしまった。
「大隈、何が分かったのか教えろよ!俺だって、うちの副社長の件では、悩むことが多いんだから・・・」
気分が晴れた大隈は、ワインのお代わりを頼んでから、
「俺なっ、ずいぶん前にもアンビシャスの有島さんに、専務のことで指導されたことがあったんだ。それを今、あらためて思い出したんだよ。そして分かったんだ!」
「だから、何が分かったんだよ!」
イライラするように、今度は安西がハイボールを飲み干して、同じワインを注文していた。
「その指導では・・・“専務の問題で悩んでいる社長の問題だ”って言われたんだ!そして・・・“相手を直そうとするのではなく、自分自身を正すこと”ってなっ! アンビシャスらしいだろう? 三年以上学んでるけど、あぁしろ、こぉしろは、殆どないんだよな。・・・・・結局、俺なんだ!本当の意味で、信頼をされていない、未熟なトップリーダーという、俺の問題なんだ! どうしても人のせいにしてしまう。専務が悪い、あいつが悪いと責めてしまう。“相手の問題にしてるうちは、絶対に解決しない”とも言われたな・・・」
タバコを美味そうに吸いながら、「これで良いか?」と言う合図のように、隣に座る安西の肩をポンと叩いた。
「今日は、こっちこそありがとう!よく分かったよ!」
安西も、やっと落ち着いた表情を浮かべた。
「ちょっと待った!先輩としてもう一言だけ言っておくなっ!“分かっても直ぐに出来るようにはらないからな!”って、有島さんは言ってた。」
「ありがとう!それも分かったよ!本当にっ。これもアンビシャスの哲学ってやつだろう? “因 我にあり”とかって云う? あっはっはぁ~」
この大笑いに、今度は大隈の方が店のマスターに手を合わせて謝っていた。大隈は、マスターに、お詫びついでにワインのお代わりを頼んだ。
「ところでハピネスは、その後どうなんだ? 竹岡専務は元気なのか? 最近は、殆ど飲みに出歩いてるのを、見たことがないって聞いたけど・・・」
「今回は専務も苦労したからな!マスコミにも相当叩かれたし。お陰で、お客も半分、スタッフも半分になって・・・痩せたって言うより、やつれたってところかな?」
「経営の方は、何とかなってるんだ?」
半年前、東京で開催されたアンビシャスのセミナー以来、一度も会っていない大隈は、今でもまだ、あの時の専務を忘れられないでいた。
辛くても辛いって言えない。苦しくてもそれを話せる人が居ない。それでも、決して鎧を脱ごうとしない。そればかりか、強がって見せていた。それが反対に痛々しく、可愛そうに思えたのだ。
「実際のところは相当大変だとは思うけど、良いスタッフが残ってくれて、少しずつだけど、お客も戻ってきてくれているようなんだ。」
「それは良かった!」
「大隈は知ってたっけ? ハピネスの荒木部長? 彼が今、支配人になっていて、以前より雰囲気が良いんだよ!風通しが良くなったというか?」
大隈は、何か言いたそうに、吸わないタバコを弄り回していた。安西は、そのタバコを取り上げるように、一本取り出し火をつけて、
「分かってるよ!大隈っ。専務のことだろう? ここで専務が本当の経営に目覚め、ハピネス蘇生のお手伝いをすることが、竹岡社長への恩返しだって・・・」
アンビシャスに学んで二年。安西自身、確信していた。会社の盛衰は、その経営トップリーダーの哲学によって決することを。だから、この時をチャンスと捉え、勇気を持って過去を清算し、また、信念を以って未来を豊かなものにする。そのためにも、より正しい、そして、より確かな経営の柱を立てることが、蘇生への第一歩であることを・・・・・・。でなければ、食中毒事件は形を変えて、何度でも繰り返し起こしてしまうだろう。なにより、今度こそ致命的になってしまうことを、心から憂いていた。
安西は、箱からタバコを一本取り出し、大隈に渡した。大隈は、そのタバコに火をつけながら、
「だったら、明日にでも一緒に会いに行こうか?」
ライターをくるくる回しながら、安西を睨みつけるように言った。・・・安西の返事はなかった。食中毒事件後、彼は何度か専務に直接会って話していたのだ。それは彼が一番苦手とする、経営哲学なるものの解説?説明?いや、アンビシャスで聞きかじった理論と実践論?・・・「とにかく良く分からないが、いい仲間がたくさんいる。それだけでも大きな価値がある」ことを伝えていた。だが、未だに良い返事は貰えないでいたのだった。
「そうだなっ!じゃ明日朝一番で専務に電話して、都合を聞いてから、お前に連絡するよ・・・」
その言葉のニュアンスは、どう聞いても、気が乗らないと言っているようだった。大隈は、酔いも少し回ってきたこともあって、ちょっと乱暴に、
「おいっ安西っ、俺がおめぇにアンビシャスとの契約を勧めたとき、なんて言ったか覚えてっか?言ってみろ!」
急にどうしたんだ?と、安西は少し驚きながら、
「悪いっ・・良く覚えていない! それより大隈、少し飲みすぎた・・か・・」
「うるさい!覚えてないって、お前!」
灰皿の灰を散らかしながら、タバコをキツクもみ消して、
「友人として、親友として、この哲学は間違いないから一緒に勉強しよう!俺を信じろ!そう言ったんだ!言ったのはそれだけだった。」
人が何かを伝えたい時、言葉の数は問題ではない。真剣の二文字だけあればよい。本気の一念だけで十分だ。もしそうでなければ、丁寧な言葉、美しい表現、繕った言い方、このどれもが、響かない言葉になってしまう。つまり、何も伝わらないのだ。大隈はそれを言いたかった。
「安西っ、俺っ確かに酔ってるかも知れない。だけどな、これだけは言いたい!・・・・・お前が竹岡社長を、そして専務をどれだけ本気で思えるか?だと思うんだ。竹岡社長は俺の大恩人だって、いつも言ってるけど、その恩に報いたいという一念が、本物かどうか試されているんじゃないのか? もうここまで来たら、アンビシャスの経営哲学を学び、経営の根本から変革する以外ないじゃないか!」
大隈は、本当に酔いが回ってしまっていた。もうここから先は、記憶に残らないだろう。既に、ないかも知れない。だが、安西の心には大隈の真剣な思いが確実に伝わっていた。そして、忘れられない記憶として刻まれていた。
こうして安西と大隈は、ゴルフの疲れも忘れて、夜遅くまで語り合った。そして、共に酔いつぶれた。
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