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運命の星(十一)

運命の星(十一)

東北の冬は早い。秋彼岸が過ぎると同時に冬は直ぐそこまで来ていた。気温だけではない何かが違って感じる。それは、これと言った何かではなく、町や人の装い、蝉時雨がコウロギの泣き声に代わり、匂いが違う。そして、食にも明らかな変化がある。そういう意味で、ここ仙台はハッキリと四季を味わえる土地であるともいえる。

ハピネスは、秋のトップシーズンに入って普段より活気があるように見えた。現・支配人の荒木を中心とした営業部以外、殆どのスタッフは事件以後、入れ替わっていた。中でも、食中毒と言うこともあり、調理スタッフの募集・採用には手間取ったが、それでも今は、以前の半分の四名体勢で切り盛りしていた。事件前、五十名以上いたスタッフは30名弱になり、秋の予約もキャンセルは多く出たものの、百件程度まで回復していた。

広瀬川を挟み、仙台城(通称・青葉城)を望む立地にあるハピネスだが、その先の未来までは展望できないでいた。正美はこの半年間、何度も何度も自省していた。正直、経営を舐めていたと。それ以上に、経営を分かっていなかった。その怖さも何も知らなかった。そして、現実の厳しさを思い知らされたと。

彼の中での反省は、企業のコンプライアンス、ガバナビリティー、そして、アクシデント対応力とスピード。つまり、その全てが能力とテクニックに問題ありとしていたのだ。はたして、個性豊かな人間を能力で推し量り、感情の動物ともいわれる人間をシステムだけで動かすことが出来るだろうか?この反省の角度が、迷路への入り口となり、今だ出口の見えない不安と疑心だけが、正美を支配していた。

正美は、父・武夫が四十年以上に亘って築いたハピネスを維持・継続することだけを考え、その上に立って、懸命に実務上の改革と改善をしていた。その努力は努力として報われれば良いが、実際は、迷いと不安からは逃れられないでいた。

コンプライアンスと言いながら、公私混同は相変わらず、また、安西が気になっている調理場と業者との暗黙のルールも無くならず、管理・マネジメントと言って、スタッフをシステムで縛り付けてしまっていた。それらは、全てに於いてチグハグで的を獲ないものだった。それでも、以前に比べてみれば、現状に対する危機感、それに、リーダーとしての自覚が、ほんの少しだが、社内の空気と言うか雰囲気を変えていた。

 

朝十時。ハピネスの始業時間を待って安西は正美に電話を入れ、午後一時のアポイントが取れた。そして、大隈にその旨を伝えた。

安西が大隈を迎えに行き、ハピネスへ向かう車中で大隈は、

「今日、俺は何も話さないよ!」

少し意地悪そうにニヤケながら言った。

「おいっ、ちょっと待てよ! 一緒に会いに行こうって言ったのは、お前じゃないか?」

いたずら半分に言ったのに、ムキになって言い返してきた。

「冗談だよ!だけど、大事なのは説得に行くんじゃないってことだよ・・・それこそ、東京のセミナーで竹岡専務に誤解されたように、勧誘になっちゃうからなっ。」

大隈は自分を確認するように言った。

「それは・・その通り!俺も昨日、お前に言われて気が付いた。一生懸命にアンビシャスの説明をしてたってねっ!それより、カウンセリング契約の説得をしてたってことを・・」

そう安西は、気付きと感謝を込めて言った。

「実際、俺たちが営業に行って、いくら商品の説明をしても、それで仕入れてくれるところはないよなっ! 結局、商品よりも人間ってことだよなぁ~」

「本当だなぁ! テクニックじゃ人は動かないか?」

そんな会話をしながら、約束の十分前にハピネスの駐車場に着いた。そこで目にしたのは、専務の正美が玄関で人を見送る姿だった。これは、以前では見られない光景である。どんなお客さんか、どんな方なのかは知らないが、いずれにしても、玄関まで来てお見送りをする。こんなことすら今まではなかったのだ。安西は驚いた。

お見送りを済ませた正美は、安西と大隈に気が付き、そのまま玄関で迎えてくれた。

「どうも、どうも、お待ちしてました! 安西社長っ、わざわざ申し訳ありません。大隅社長まで・・・東京でお会いして以来ですね! どうぞどうぞ・・」

そう言いながら、応接室に案内され、促されるままソファーに着くと、女性スタッフがコーヒーを持って入ってきた。安西は、ハピネスに長く出入りしている一人だったが、その子を知らなかった。

「ありがとう! ニューフェースかな? 厨房でお世話になっている安西物産です! どうぞよろしく。」

自然と営業口調になっていた。が、それは同時に、入れ替わりの激しいことを気に留めて、“頑張ってね!”という思いも込めた挨拶だった。

「吉田です!・・・」

「今月入社したての新人で、吉田愛子さんです。家が直ぐ近くで、愛子さんのお父さんは、僕の先輩なんですよ!」

まだ不慣れな彼女をかばうように、正美がそっとフォローした。

「そうですか・・・初々しいと言うか、素敵な方で専務も良かったですね」

彼女は、ちょっぴり照れながら応接室を出て行った。

安西は、ニューフェースの話を切っ掛けに、近況などを取材しながら、世間話をしていた。すると、正美が急に姿勢を正し、大隈に向かって、

「何時ぞやは、大変失礼しました!」

 それは、もう半年も前のセミナーのこと・・・彼は彼なりに気にしていたことを知ると、大隈は驚いた表情で、

「いえっ、とんでもない!初めてで驚かれたでしょう?安西も説明が足りないから・・・」

急な話の展開で咄嗟に、安西に振り向けてしまった。

「はいっ、はいっ、悪いのは私です!そう、私が悪いんです!」

小さく舌打ちし、その場の空気を察して、冗談めかしながら言った。

「正直、本当に驚きました!今まで何度か、経営コンサルタント主催のセミナーには出たことがありましたが、規模といい、雰囲気も演出も何もかも想像になかったものですから。」

正美は、二人から会いたいという電話を貰った時から、何の話かは大体の見当はついていた。だから、言い包められる前にと、正美の先制攻撃だったのだ。

「それはそれは・・・私も全く同じでした。安西もそうだったろう?」

大隈は、このタイミングで一気に話の流れを作ろうと思い、勢い体験を話し始めた。

「そもそも経営コンサルなんて、信用できないと私も思っていました。実際に一度、結構有名なコンサルタントを入れたことがありましたが、結局、何にも役に立ちませんでした。まして、哲学だ理念だと聞けば、ますます、“うさんくさい”なぁ~と思いましたよ!正直、本当に!」

本心から正美の思いを察し、それに同調するように大隈は続けた。

「経営現場は理論じゃない。哲学も理念も否定はしないが、経営の最前線では、それこそ全く役に立たないと考えていました。経営上追求しているのは、売上であり利益で、それ以外は建て前だと。経営理念などは、もっともらしく書いて壁に飾っておくものだとも思っていました。」

少々飛ばしすぎの大隈は、冷めかけたコーヒーに手を伸ばした。反対に、隣でゆっくりコーヒーを飲んでいた安西が、バトンタッチとばかりに、

「私も大隈と全く同じ認識でいましたし、大隈の話を聞いて、その無責任なコンサル会社を酒の肴にして飲んだこともありました。その大隈が、約二年前に、私にこう言ってきたのです・・・」

安西は、大隈を見ながら、

「俺を信じて勉強しろってね! そして、〝経営は社長の考え方、つまり、哲学で決まってしまうんだ〟・・とも。私は正直、その一言が怖くなりましてね! 確かに、時々様々に意思決定を迫られるのがトップリーダーです。その意思は私の考え方一つという意味です。価値観といっても良いでしょう。それに因って決まってしまう。しかも、私の場合、その裏付けは過去の経験と勘、そして、好き嫌いでしかありませんでしたから。そんないい加減なことはないなっと!本当に恐ろしくなったことを、今でもハッキリと覚えています。」

安西は、これ以上は止めようと思って、おもむろにタバコを取り出した。そして、「説得に来たんじゃない」「アンビシャスの勧誘でもない」ただ、「大恩人の竹岡社長を思い、その恩に報いたい」それだけなんだ!と、自分に言い聞かせていた。一息ついた大隈はまた話を引き継いで、

「専務が東京でおっしゃっていた、私たちに契約のメリットはありません!誓ってありません。安西が竹岡専務をセミナーに誘ったのは、ただただ、このハピネスを思ってのことだったんです!・・・・・ 安西は直接言いずらいだろうから、私から言わせていただきますが、今から二十年以上前、安西物産の創業当時に、専務のお父さんに、可愛がってもらった。それこそ取引先の全くない大変な時期に、全面的に取引をしてくださった。その恩に報いたい一心なんです!それだけなんです!なによりも、安西自身が、アンビシャスに学び、実践し、体感し、“大恩に報いる術はこれしかない”と確信してのことなんです。間違いなく、これまで以上のハピネスになります。それを可能にするのは哲学です!否、専務です!必ずそうなります!」

それを聞いていた安西は、タバコの灰が落ちるのも忘れ、溢れる思いと涙を必死に堪えていた。

「今日は、それだけを伝えたくて来ました。 生意気なようですが、安西はハピネスとの取引を通じて、強く思うところがあったのです。それを是非ご理解ください!今日はこれで失礼します!」

大隈は、正美の反応も返答もないまま、一方的に話を終わらせ、二人は帰って行った。

 

その二人が去った後、正美は一人応接室に座っていた。そして、専務に就いて以来、ずっと悩み続けてきたことを回想していた。

社内の人間関係、スタッフの不正、セクショナリズム等々。そして、思い出したくもない半年前の事件とその対応・・・。今尚、悩み苦しんでいる自分自身を正直に見つめていた。そして、今になって安西がセミナーに誘ってくれた時に、パンフレットと一緒に入っていた、手紙の内容が鮮明に蘇っていた。

今まで、このハピネスに起きている様々な出来事、一つひとつの現象を、どうしても整理できないでいた正美だった。だから、今後の対策や予防的システムだけを考えてきた。だが、大隈と安西の言っていることは、それとは全く違う。まさに次元の違う話であることに、愕然とした。

「経営は、社長の考え方」その言葉が耳から離れない。さらに、「トップリーダーの価値観に因る」これも、繰り返し頭の中を駆け巡っていた。結局、社員でもなければ、システムでもない。確かにそう聞こえたし、そう言っているに違いない。だが、何を言いたいのか?どういうことなのか?は、ハッキリ言って分からない。

ただただ、何のメリットもないことが本当ならば、何故あそこまで真剣に・・・恩に報いたいとは言っても・・・それでも、あの熱意だけは嘘とは思えなかった。決定的なことは、正美の人間関係は、その殆どが利害関係人。事実、それ以外を知らなかったこと。それはつまり、利害・損得のない麗しい人間空間を知らなかったのである。

正美は応接室の窓から、秋晴れの空を見ながら、アンビシャスやその経営哲学とやらが、どういうものなのかは、どうでも良くなっていた。あの二人を信じてみたい。信じたい。信じようとした。

完全に冷え切ってしまったコーヒーを一口飲み、タバコに火をつけながら、それでもまだ思いあぐねていた。「ところで、何を根拠に信じればよいのか?」二人の真剣さも熱意も、確かに伝わってはきた・・・・・・。

これが、ありのままの正美だった。意思決定の裏付けを持たない。何かを、誰かを信じることも出来ない。つまり、彼の内面実態は、いつでも不安定。どんな時でも不確か。全く精神衛生上で言えば、自らストレスを溜め込んでいるようなもの。

それは、時々の思いや、様々な考えはあっても、その“根本”となるものを持っていない。また、物事に対し“基本”とする考え方がない。ゆえに、そのようなリーダーが指揮する組織に安心も安定もない。一貫性もないであろう。まさに、リーダーの感情や思い付きだけで、現場を振り回しているようなものだ。これでは、スタッフからの信頼など得られるはずもなかった。

実は、安西も大隈も、そのことを徹底的にアンビシャスから指導を受けていた。リーダーの発する些細な一言。小さな一つひとつに対する意思決定。何気ない日常の振る舞い。それこそが哲学だとアンビシャスは言う。

とは言え、そう簡単なものではない。分かって直ぐにできる、直せる、正せるものではなかった。ただそれが、経営現場において、どれ程大事なことで、トップリーダーである自分自身にとって大切であるかは、身をもって実感していた。

誰の場合も、身の周りに起こっている現象は、事実として確認できる。正美を苦しめたのも、一つには、社内の人間関係であった。先輩後輩の軋轢であったり、単純な好き嫌いが元で仕事が進まなかったり、あるいは、男女の問題も世間一般的なモラルを逸脱していたりと、どう手をつけてよいかわからないでいた。それは個人的感情の問題であり、プライバシーの問題と割り切って考えたかったが、業務に影響が出てしまっては、そうもいかない。

また、何度も繰り返される社内の不正に至っては、半ば諦めていた。そして、社員・スタッフと言うものは、所詮、他人であり信用できないと決め付けていた。さらに、セクショナリズムは組織上、起こるべくして起きていると考えた。だから尚のこと、そのスタッフと言う人間を無視し、なんとかシステムで解決しようと、あらゆる策の導入を試みた。

それはそれとして、唯一肝心な、正美自身だけが見えていない。それは安西も大隈も全く同じだった。自分以外はよく見える。相手のことは実に良く分かるもの。がしかし、自分で自分の確認は出来ない。まして、相手に移る自分の姿など、本気で考えたことも意識したこともない。  

それらは、性格的な問題や成功による増長が原因となり、苦言を呈してくれる人物が周囲から去っていったことなどによる。否、諫言してくれる人を自ら煙たがり遠ざけた結果とも言えるのではないか。

 

それから三日が経った朝、正美は出勤前の自宅にいた。いつものように、子供たちは皆、学校へ行った後だった。秋雨前線が停滞し、シトシトと降り続く雨も手伝って、静かなリビング。この日は珍しく礼子が、入れたてのコーヒーを手渡しながら、

「その後、会社の方はどぉおっ? 新しい人たちは、仕事に慣れないから大変でしょうね・・・荒木支配人も、きっと疲れてるでしょうね・・・?」

正美から聞いていた僅かな情報だけを頼りに、密かに礼子は、会社を心配していた。正美は、コーヒーを苦そうに飲みながら、

「疲れているのは俺の方だよ!もう半年近く休んでないんだ!」

それは事実だった。そして、不満だった。情けなく思ってもいた。だから、会社のことも何も知らないで、スタッフを優しく気遣う礼子が、暢気で無責任な主婦としか思えないで、不愉快だった。

「近いうちに、支配人と新人の方々を家に呼んで、食事でも、ご馳走してはどう? 私、頑張ってお料理つくりますから・・・」

それは今、礼子に出来る精一杯のことだった。

「そんなことはいい! 今は、もっとやらなきゃいけない事があるんだよ!」

不機嫌な気分は、そのまま苦虫を噛み潰したような表情となって言い放った。だが、この日の礼子は、簡単には引き下がらなかった。

「他にやることって、何があるんですか? あなた一人で、いったい何が出来るって言うんですか? スタッフの皆さんが頑張ってくれているお陰じゃないんですか?・・・」

礼子は、いたって冷静だった。反対に正美は、益々表情を険しくして、礼子を睨んでいた。が、返す言葉が見つからなかった。もう聞きたくないとばかりに、腕時計を見て出勤時間を気にするそぶりを見せた。

「私は、経営のことは分かりません。ですが・・」

「だったら黙っててくれ!」

「分かりました、黙ります。ですが、今日は一言だけ言わせてください! あなたは会社のために頑張っています。それは私も分かっています。だけど、その会社は、誰の為のものなんですか? あなた一人、竹岡家だけのものなのでしょうか?・・・」

礼子は、素直に正美を心配していた。それ以上に、夫として心から愛していた。その強い思いが、自然と言葉になって溢れてきた。

「あなた一人が、どんなに頑張っても、それが竹岡家や自分の為だけだったら、そんなリーダーには、誰も付いて行かないでしょう。少なくとも、私が社員だったら・・・。 確かに、貴方は会社やスタッフのことをよく見ているかもしれませんが、スタッフだって、貴方のことをよく見ているはずです。何を思い、何を考えているのか? 分からなくとも感じているはずです・・・。今のあなたは、自分勝手です! あなたを信じて付いて来てくれているスタッフが可哀そうです!」

そう言うと、礼子は洗濯物を持って、リビングから出て行ってしまった。正美は、何も言い返せないままソファーに沈んでいた。そして、電源の入っていないテレビの黒い画面を見つめていると、安西と大隈から言われた言葉が、そこに映し出されるように思い出した。「トップリーダーの考え方」「リーダーの価値観」そして、「経営哲学」

 

ふっと壁の時計に目をやると、出勤時間の十時を過ぎてしまっていた。それを確認した正美は、礼子を気にしながら家を出て、車の中からハピネスに電話をした。

正美は、会社ではなく安西物産を目指して走っていた。勿論、アポイントなしであった。その道中も、礼子から言われた“自分勝手”という一言が、頭から離れなかった。そうして着いた駐車場には安西の車があった。安心して、ノックもせずに事務室のドアを開け入って行くと、

「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!」

その声は弾んで聞こえた。そして、一斉に立ち上がり、正美に対し深々と頭を下げていた。一瞬、言葉を失った。何だこの爽やかさは?思わず、正美も深く礼をしていた。

「失礼します!ハピネスの竹岡です。社長はいらっしゃいますか?」

決して堅苦しい雰囲気ではなかったが、正美の方がかしこまってしまった。すると、一番奥の席で、積み上がった資料の間から、覗き込むように安西が、

「専務っ、どうしました? いらっしゃいませ!」

安西物産の事務所は狭く、会議室も営業部が使っていた。安西は、その狭い室内を見回して、

「今日は、どうしました?こんな“むさ苦しい”ところへ・・・」

「先日、大隈社長とお越しいただいた件で、少しお話をと思いまして・・・」

そういう用件であればと、また事務所内を見回していた。

「ちょっと待ってください」

そう言って、携帯で電話をした相手は大隅だった。運良く、この日は社内にいて、時間も取れるということだった。早速、安西は正美を車に乗せ、大英食品本社へ向かった。その車の中で、

「安西社長、今日はビックリしました。 しっかり社員教育をしてるんですね!皆、元気で明るくって!」

正美は感じたままに、しかも羨ましく言った。

「いえ、いえっ、社員教育なんてとんでもない!アンビシャスに怒られますよっ・・・社員じゃなくって、お前だってね! でも嬉しいですよ、そう言って頂けると」

安西は事もなげに言った。が、またその一言に正美は、引き付けられるように、

「社員じゃないって・・どういうことですか?」

大英食品は車で五分、既に駐車場についていることも忘れて、いつもより熱心に聴いてくる。安西は少し笑みを浮かべながら、

「着きました!中で話しましょう」

そう言って、大隈の社長室を訪ねた。

「お待ちしてました!どうぞ! 先日は、生意気なことを申し上げ、大変失礼いたしました。」

大隈は、ソファーに案内しながら、正美に手を差し出した。正美もその手に反応して、両手で握り返していた。間を置かず、

「いらっしゃいませ!」

女性スタッフが、湯気の立っている“おしぼり”とコーヒーを、持って入って来た。さらに、その“おしぼり”を開いて正美に手渡してきた。これにも、正美は驚いた。サービス業でもない大英食品で、こんなもてなしを受けるとは、内心ショックを受けていた。そして、安西物産同様、ここもスタッフは爽やかで明るい。これは決して、繕ってできるものではない。まして、やらされて出来る事でもない。これも社員教育でないとしたら一体・・・と、正美は不思議に思いながらも、痛く感心していた。そんな正美を見つめながら、

「ところで今日は、・・・・?」

引き締まった表情で大隈が切り出した。

「実は、先日のお話を、もう一度聞かせていただきたくて参りました」

大隈は、窮屈にならないように、今度は分かりやすく表情を崩しながら、

「いやぁ、本当に失礼がありましたら、この通りっ、お詫びします」

少しおどけて見せると、安西も、

「大隈が一方的に話してしまい、申し訳ありませんでした!」

見事に呼吸のあった二人を見て、正美も表情を緩めた。そして、なんとも言えない友情というか、楽しげで麗しくさえ感じる安西と大隈の関係を、心から羨ましく思った。

「いいえ、そんなことありません! 今日、是非聞かせていただきたいのは、考え方と価値観についてなんです」

直球で来たなっと思い、少し時間を掛けて大隈は、

「もう少し、具体的に聞かせてくれますか?」

隣に座っていた安西は、正美の微妙な息使いを、耳を澄ませて感じ取っていた。そして、それは明らかに本気という熱を感じるものだった。

「・・・正しい考え方と誤った考え方があるなら、それを教えて欲しいんです。それと、善い価値観と悪い価値観も、あるならば聞きたいんです。教えていただけませんか?」

「分かりました!」

おしぼりで顔を拭き、タバコに火を付けてから、大隈はこう言った。

「考え方は人それぞれです。正しいか誤ってるかではなく、望ましい結果を出せるか出せないかなんです!・・・価値観についても、善い悪いではなく、自分中心なのか相手中心なのかなのです!」

知らない間に、アンビシャス流の言い方になっていた。その物言いに、安西が笑いを堪えてから、付け加えるように、

「竹岡専務に限らず私たちも同じで、皆、自分勝手で何でも都合よく考えてしまうものです。自分は正しくて悪いのは相手。何の疑いもなく自然にそう考えてしまう。自分が善いと思ったことは、善意の押し売りのように、相手に押し付けてみたり。基本、我侭に出来てるんじゃないですかねっ!人間は・・・?」

正美は、何か一気に力が抜けるような気がした。言われてみれば、難しいことは何もない。その通りだ。正美は静かに頷いた。何度も何度も安西と大隈を交互に見つめながら頷いていた。そうしているうちに、頭の中に衝撃が走り、体がピンッと伸びた。「今の今まで、会社を良くしよう、売上を伸ばそうと一生懸命に考えに考えて頑張ってきた。それこそ望む結果のためだけに。だが、現実はそうはなっていない・・・・・ということは、結果を出せない、結果が出ない考え方をしてきたのか?」正美は体が固まってゆくのが自分で分かった。安西が、大隈から言われて“怖い”“恐ろしい”と感じたと言っていたが、こういう事かと、今度は体に震えが襲ってきた。

「竹岡専務、近いうちに一度、私をアンビシャスに誘ってくれた社長に会って、話を聞いてみませんか? 専務もご存知だと思いますが、秋保温泉のホテル和休の村岡社長です。もうかれこれ、十年以上勉強されている大先輩です。」

大隈は、正美の動揺する姿を見て、もう少し時間を掛けたほうが良いと判断した。

「和休の村岡社長も一緒に勉強をなさってるんですか・・? うちの社長と高校が一緒だったと思いますが・・・息子さんは、私の三つ後輩です!ほとんど会って話したことはありませんけど・・・」

安西も大隈の意向を汲み取って、

「それは良い! その後輩の村岡常務も、アンビシャス仲間です! 是非お会いになってはいかがでしょう?」

自分から進んで飛び込んできた話である。正美に断る理由はない。

「どうぞ、どうぞよろしくお願いします」

その正美の返事と共に、大隈は、その場で村岡社長と連絡を取った。そして、来週の月曜日、十月三日午後一時、ホテルにお邪魔することになった。

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